R6,5/14(7)第56番札所 金輪山 勅王院 泰山寺(1) | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

特徴的で、大きな本堂の屋根が見えています。
心を落ち着けて、札所に向かいます。

からです。

 

仏前勤行次第

十四、和讃
  ⅰ 弘法大師和讃
   帰命頂礼遍照尊 宝亀五年の六月に 玉藻よるちょう讃岐潟
   屛風ヶ浦に誕生し 御歳七つの其時に 衆生の為に身を捨て
   五の岳に立雲の 立る誓いぞ頼もしき 遂に乃ち延暦の
   末の年なる五月より 藤原姓の賀能等と 遣唐船にのりを得て
   しるしを残す一本の 松の光を世に広く 弘め給える宗旨をば
   真言宗とぞ名づけたる 真言宗旨の安心は 人みなすべて隔てなく
   凡聖不二と定まれど 煩悩も深き身のゆえに ひたすら大師の宝号を
   行往坐臥に唱うれば 加持の功力も顕らかに 仏の徳を現すべし
   不転肉身成仏の 身は有明の苔の下 誓は竜華の開くまで
   忍土を照す遍照尊 仰げばいよいよ高野山 流れも清き玉川や
   むすぶ縁しの蔦かずら 縋りて登る嬉しさよ 昔し国中大旱魃
   野山の草木皆枯ぬ 其時大師勅を受け 神泉苑に雨請し
   甘露の雨を降しては 五穀の種を結ばしめ 国の患を除きたる
   功は今にかくれなし 吾日本の人民に 文化の花を咲せんと
   金口の真説四句の偈を 国字に作る短歌 いろはにほへどちりぬるを
   わがよたれぞつねならむ うゐのおくやまけふこえて あさきゆめみじゑひもせず
   まなび初めにし稚児も 習うに易き筆の跡 されども総持の文字なれば
   知れば知るほど意味深し 僅に四十七字にて 百事を通ずる便利をも
   思えば万国天の下 御恩を受けざる人もなし 猶も誓いの其中に
   五穀豊穣富み貴き 家運長久智慧愛敬 息災延命且易産
   あゆむに遠き山河も 同行二人の御誓願 八十八の遺跡に
   よせて利益を成し給う 罪障深きわれわれは 繋がぬ沖の捨小舟
   生死の苦海果もなし 誰の便の綱手縄 ここに三地の菩薩あり
   弘誓の船に櫓櫂取り たすけ給える御慈悲の 不思議は世世に新なり 
             南無大師遍照尊 
             南無大師遍照尊
             南無大師遍照尊
仏前勤行次第

十四、和讃  ⅱ四国巡拝和讃、、、、。(次回に。)

           (四国八十八ヶ所霊場会 先達経典より)

お大師様の生れから、御修行、勅を受けての雨乞いや、高野の地にいてくださること

いろは歌等々とってもわかりやすくまとめて下さっている。

あぁ、、有難い、、お大師様

南無大師遍照金剛m(_ _)m

 

四國第五十六番霊場 𣳾山寺

本尊地蔵菩薩 千枚通六字名号

  

第56番札所 金輪山 泰山寺

本尊 地蔵菩薩(伝弘法大師作)

開基 弘法大師

宗派 真言宗単立

天長元年(823)、享和天皇の勅願寺として創建されている。

弘仁6年(815)、弘法大師は当地方の災害を鎮める護摩秘法を修し、

堂宇を創建して自ら刻まれた地蔵尊像を安置されたという。

(空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人 解説編より)

 

手洗い所に向かい、身を清めます。

鐘楼へ、、

屋根の下に、荷物を置かせていただきました。

今は、撞くことができませんでした。

本堂

安政元年再建という

大師堂

昭和60年の建立

納経所へ

大きな同行会館の前に、納経所

石碑の裏は、次の札所への道が示されている。

そういえば、、以前、納経所に、白いワンちゃんがいたなぁ

 

(↓2006年3月の写真)

(↓2008年12月の写真)

ロクちゃんに、ナナちゃんという名前だった。

2009年の写真は、、大部分が消えてしまった。↓

納経帳や袋が、もみくちゃになったなぁ、、

 

(↓2010年2月の写真)

可愛いね

ロクちゃんとナナちゃんは、もうこの世にいなくて、、

新しいワンちゃんがいるそうですが、納経所にはいませんとのこと。

 

続く。