R6,4/21(58)第55番札所 別宮山 金剛院 南光坊⑳ | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

ひとつひとつの、、飾りにも、意味がある。

日々、自分が、、服や、装飾にこだわるように。

お遍路が、その装束に、道具に、作法に、言葉に、こだわる様に。

、、、意味がある。

四国第55番 南光坊の

続きからです。

仏前勤行次第

十、十三仏真言(三返)
 (五)地蔵菩薩
    おん かかか びさんまえい そわか

 【意訳】一切の人々が歓喜する妙宝のあめをふらす地蔵菩薩に帰命する。

     成就あれよ。

 

仏前勤行次第

十、十三仏真言(六)弥勒菩薩、、、、。(次回に。)

           (四国八十八ヶ所霊場会 先達経典より)

 

四国を歩いていても、地元を歩いていても、身近にいてくださるお地蔵様。

六道能化といわれ、、お釈迦様が入滅されて、56億7000万年後に弥勒菩薩様が

来てくださるまでの間、六道に来てくださり、人々を救ってくださる仏様。

宝珠に錫杖を持つ姿が一般的。

たとえ、、地獄の業火の中で苦しんでいようとも、、お地蔵様は救いに来てくださる。

「、、、土はお地蔵様なんだぞ」

そう書いている本を見たことがある。

大地、、あらゆるものを生み出す土。

植物を育てる。大切な鉱物や石油等のエネルギーも与えてくださる。

命を終えた身体は、形あるものは、、土に還る。

生きることも、いただくことも、また、終える時も、、土にお世話になる。

「おん かかか びさんまえい そわか」

m(_ _)m

 

さて、南光坊の薬師堂です。

明治の廃仏棄釈で、南光坊の薬師堂に大通智勝如来と脇侍の弥勒菩薩像、

観音菩薩像は移され、札所になったという。

先の戦争の空襲で、昭和20年8月、金毘羅堂と大師堂を残し、多くの建物

その他が焼失した、、とある。

平成3年(1991年)に薬師堂は再建された。

(↓2008年12月の写真)

(↓2010年2月の写真)

本堂の右横にある薬師堂

(↓2010年2月の写真)

(↓2010年2月の写真)

屋根の部分を見上げるカメラ

(↓2010年2月の写真)

正面の千鳥破風の姿

鬼瓦に懸魚も光る

(↓2010年2月の写真)

正面右側

隅棟稚児棟鬼瓦、、向拝上部の留蓋瓦の獅子も見えます。

(↓2010年2月の写真)

左側。

大師堂の彫刻ばかり写して、、薬師堂の写真を忘れました。

次回に参れたら、しっかり撮りたい。

ここから、2024年4月

薬師堂の裏側。

小雨で、、暗めの写真です。

向こうに金毘羅堂も見えます。

後ろ姿

背部左角

風鐸も見えています

最上部を見上げる。

鬼瓦が守る薬師堂

続く。