僕のような、、、ポッチャリ案内人
弘法大師空海が誕生されたのは、日本に仏教が伝来してから二百余年
すぎていた。聖徳太子は、仏教を受け容れて国家と国民の安寧をねがい、
法隆寺などを建立した。聖武天皇はまた、奈良の大仏を開眼するなど、
日本は仏教国家へと歩みはじめていた。一方、唐や朝鮮半島の影響を
強く受けていた日本は、平安時代になると独自の文化の花を咲かせはじ
める。この時代、空海は生来そなえていた天性の才智と、その叡智に
満ちた法光を存分に発揮する。
(四国八十八ヶ所霊場会 先達経典より)
お大師様を慕い、その跡を参る遍路道。
遺された数多くの話や教えに、手を合わさずにはいられない。
まだ見ていない境内のお宝がある。
手水舎
山門を入って、、先ずお清めを行う水が流れている。
行者様等は、全身を清める作法などもあるだろうが、便宜的に、手を
洗い、口をすすいで、身体の外と内を清めるとある。
神仏の前に立つと言う事は、、先ず、自らを清めなければならないんだ、、
自分を振り返ると、、恥ずかしい限りだ。
『漱口』
心を静める、、、
自らを省みる、、、、
裏面には、、
寄進された方々の名が刻まれている。
この水盤で、、大勢の人が清めて参った。
屋根が付けられ、瓦の装飾もある
懸魚に桁隠、波に千鳥の装飾瓦
反対側も、、
小さな屋根も、丁寧に造られ、装飾も素晴らしい。
『遍路道』
手水舎の向かいには、、
奥之院の薬師如来様が安置されています。
横から見たら、、
瓦も豪華だな
現在の納経所
参道脇のこの建物
この建物は、『含霊堂』といい、元乃万小学校全身の阿方小学校の
後者の移築とのこと。
昔は、、本堂の右側の建物で、納経してくれていたような気がする。
うん、、こっち

今は、こっちではない。
続く。