いつも、前を通るだけですが、
鎌大師の横に、神様の教会があります。
『石鎚本教 恵良山真事教会』です。
瓦の飾を見てしまいました。
石の文字に、鶴と亀です。
とっても厳しい石鎚の御山信仰
かつて、、お山に登るには、、、、
愛媛県生涯学習センター データベース「えひめの記憶」には
登拝者は七日間の精進潔斎をする。海、川などで垢離を取り、魚肉を断ち、
蚤、蚊の殺生も慎ん。海岸から遠い所の者でも最後には潮垢離を取りに行く
風があり、そのとき海藻を持ち帰ったり、登拝の賽銭を浄めてもどったりする。
日本霊異記に「凡夫は登り到ることを得ず、ただ浄行の人のみ登りて居住す」と
記されているが、道者は精進潔斎して登拝したのであり、不浄者は山の天狗に
放られると信ぜられていた。
とあります。
↑データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム (i-manabi.jp)
僕なんか、、精進が足りず、まだまだ登れないな。。
霊場に入るには、、それなりの覚悟がいる。
受け入れてくれるだろうが、何でもありではない。
、、、と思う。
遍路も、そうだろう。
懺悔して、帰依して、、十善戒もある。
鎌大師からの出口に、看板が並びます。
イヨスミレ 市指定史跡
所在地 松山市下難波 腰折山 指定 昭和57年8月11日
松山市の梅村甚太郎が明治31年4月17日発見、牧野富太郎がイヨスミレと
命名し発表したものである。ところが、山の樹木繁茂とともにその姿を消
し、幻の花と言われてきた。しかし、昭和56年山火事にあい、焼跡から翌
年再びこのイヨスミレを湯山勇夫妻が再発見されたのである。
イヨスミレは中国東北地区から朝鮮半島にわたる北方大陸産のフィリゲン
ジスミレに最も近遠の植物である。前川先生の言をかりれば、日本のゲン
ジスミレは2つの系統がある、1つは長野県に産する満州など大陸系のも
のと、もう1つは朝鮮半島系のものがあり、イヨスミレは朝鮮半島系と言
われる。満州、朝鮮を南下して氷河時代に日本に分布していたゲンジスミ
レのうち腰折山に生き残ったイヨスミレ、同じくエヒメアヤメと人家近い
この山に2つも遺留植物が存在していることは興味深い事である。
松山市教育委員会
イヨスミレ 松山市公式ホームページ PCサイト (city.matsuyama.ehime.jp)
電柱の脇の石碑は、、
『国指定 天然記念物
エヒメノアヤメ自生南限地帯』
(↓2008年12月の写真 前、北条市となっている)
エヒメアヤメ自生南限地
所在地 北条市下難波腰折山
指 定 大正14年10月8日(国指定天然記念物)
こかきつばたの名でこのように歌われた腰折山の可憐な花は、「こかきつばた」
とは別種の牧野富太郎が命名したエヒメアヤメである。
エヒメアヤメはアヤメ科の植物であって、根茎はやや偏平で細くやせ形、葉は線形
で薄く、葉長は10cm~15cmが普通である。
陽春四月上旬を開花期とし、数cmの高さの花軸に普通1花を、時に2~3花を咲か
せる。花色はうすい紫色で外花蓋には黄白色のはん点を持っている。
元来大陸北部に分布する植物で、我国では中国、九州、四国の瀬戸内海に沿う各地
に生育し、古書に「たれゆえそう」と名づけられたと記録されている。
腰折山はその南限地として世に知られ、古くからこの花にまつわる哀れな民話とと
もに、「こかきつばた」の名で親しまれてきたのである。
エヒメアヤメ自生南限地帯 松山市公式ホームページ PCサイト (city.matsuyama.ehime.jp)
そして、、俳人 小林一茶の道の看板もあります。
風早まちづくりネットワークのページを紹介します。
↓IssaVisitedKazahaya2023.pdf (hojo-kazahaya.jp)
出発前に、記念撮影
いつもながら、、ひとり撮影。
でも、同行2人。
へんろ道の反対は、腰折山・エヒメアヤメを見る登山道
僕は、こっちだ
ふと、、目を奪われた
足元の小さな花に、小さな虫さん
僕と同じ、地球市民
目の前に、へんろみち保存協力会の矢印シール
越えて行こう。
続く。