翌日は、夕刻から帰宅しなければならない。
15時半には、JR松山駅に向かい、高速バスに乗る。
屋根があって、、布団もあって、、
お風呂、トイレ、、温かいご飯。
優しい女将さん。
、、、なんて幸せなんだ。
日常の、当たり前なことも、キラキラと輝く。
それに、歩けるこの身体。
、、、、、ほんと、、幸せなんだ。
洗濯も終え、、横になった。
続く。からです。
四国に来た夜、、その日歩いたことや、以前の遍路旅、、
仕事のことや、、あんなことこんなこと、、
浮かんでくる。
いつの間にか、寝落ちした。
3時過ぎから、、布団の中で、もぞもぞしていた。
5時に準備を始めた。
お願いしていた6時半の10分前に、朝食を持って来て下さった。
この日いちにちの元気をいただく。
いつもは、何も思わず食べる。
お遍路に来たら、、、あっ、、て、思う。
お米を作る人、鮭を獲る人、鶏を飼って卵を売る人、
味噌を作る人、、、、
器を作る人、、、
運ぶ人、、、
作ってくれた女将さん、、、
太陽、、水、、天気、、
いろんな、おかげさまがあって、食べることができる。
美味しかった(≧▽≦)
お腹いっぱい
御飯のおかわりを聞きに来てくださった、女将さん。
食後のコーヒーを淹れてくださいました。
起きてから1時間以上しないと、大きなトイレが出ない僕。
出発前に、終えておく。
7時前に、出発。
思い出の宿に、もう一つ重ねた思い出が増えた。
写真があって、、振り返れることが嬉しい。
一期一会の遍路旅
どうして、普段は気付かないのかな
民宿の上松さん
ありがとうございました。
すぐそばに、札所が見えています
到着\(^o^)/
四国第53番札所 須賀山 正智院 円明寺(圓明寺)
山門の八脚門は県指定重要文化財
山号額 『須賀山』
円明寺
四国八十八か所の53番札所である。須賀山正智院と号し、
本尊は阿弥陀如来である。
寺伝によると、天平年間(729~749)、僧行基の創建で、
聖武天皇の勅願所であったという。
この寺は、はじめ、ここから西方の和気西山の海岸にあり、
海岸山円明寺といわれた。五重塔もあり、立派な本堂など豪
壮な七堂伽藍を備えた寺院であったという。
幾たびかの戦禍により一山のほとんどを焼失し、寛永10
(1633)年に須賀重久が現在の地に再建したので須賀山円
明寺といわれるようになった。また、寛永13(1636)年に
は仁和寺の直末寺に加えられ、正智院と号するようになった
と伝えられている。
観音堂に安置されている十一面観音像は、慶長5(1600)
年に河野家再興をはかった遺臣たちが、戦死者の菩提を弔う
ために奉納したと言われている。
松山市教育委員会
第53番札所 須賀山 円明寺
本尊 阿弥陀如来(伝行基菩薩作)
開基 行基菩薩
宗派 真言宗智山派
聖武天皇の勅願所で、天平勝宝年間に行基菩薩を開基として
当地より北の、和気の海浜西山に創建せられ、海岸山円蜜寺
と称された。たびたびの兵火に罹り滅びかけたところを寛永
10年(1633)、和気の豪族須賀重久が現在地に移転、再興
した。寛永13年、現在の正智院円明寺と称されるようになっ
た。当寺には、慶安3年(1650)の銅板製下図の納札が保存
されている。
(空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人 解説編より)
朝7時の円明寺
さぁ、、参ろう
続く。