令和5年12月26日(44)四国第52番札所 瀧雲山 護持院 太山寺⑪ | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

大師堂から、右の方へ、、

何の木だったのだろう。

昔の写真があればわかるのに、、。

向こうに見えるのは、長者堂です。

続く。からです。

本堂の左側に長者堂があります。

しだれ桜かな、、目

宝形造の御堂ですね

三の門、階段下にあった案内板

真野長者とお堂についての説明。

 この寺の開創説話に、炭焼き小五郎にちなむ伝承の「一夜

建立の御堂」がある。豊後国(大分県)の炭焼き小五郎が黄

金を発見して真野長者となった。あるとき、船で難波に向か

う途中、高浜沖で大嵐にあったが、瀧雲山(経が森)に光明

を見て助かった。翌日、山へ登ってみると、小さな草堂に十

一面観音が祀られていた。長者は霊験に報いるために、国に

帰り、財を船に積んできて、一夜で堂宇を建立したという話

である。この真野長者堂は、現在、本堂の左に祀られている。

 

境内の案内板

  一夜建立の伝説

   今から千四百年前、豊後の国(大分県)の炭焼小五郎のもとに奈良の

    三和神社のお告げによって都の久我大臣の娘、玉津姫が嫁いで来ました。

    夫婦は宝を見つけて大金持ちになりました。天皇より「長者」の号をいた

    だき真野長者と名を改めて難波(大阪府)の港に向かう途中、高浜沖で

    あらしにあいました。

    一心に「南無観世音菩薩」と唱えて祈ると瀧雲山(経ヶ森)山頂から、五色の

    御光がさし、ほどなく海がおだやかになり、無事船を岸に寄せることが

    出来ました。長者が山に登ってみると、草深い小さなお堂に十一面観

    音像が安置されていました。

    御利益をいただいたお礼にと思い本堂を建てることにしました。

    すぐに国に帰り、大工を集めて本堂の木取りをして船に積み、追い風を

    うけて豊後の臼杵から一晩で高浜にやって来ました。

    そして、山の中腹に、一夜のうちに本堂を建立したということで

    「一夜建立の御堂」と呼ばれています。

九州の炭焼小五郎さんの、長者話が残るお寺

長者堂の左右に、宝篋印塔が建てられています。

阿閦如来如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来を

四方に、、もちろん中心は、大日如来だろう。

願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成佛道

本堂に向かって建つ

為天野家の菩提、、とのこと。

そしてともに、皆共成仏道

長者堂の右にも宝篋印塔

願以此功徳 普及於一切 我等衆生 皆共成佛道

若有末世四輩弟子 善男善女為無上道 

盡力造塔安置神咒 所得功徳説不可盡

塔を建て、祈る。

仏様の願いを知り、またそのように、、と思う。

大正年間に建てられている。

經曰若有有情能於 此塔一香一華禮拝

供養八十億劫生死 重罪一時消滅

お経によると、、この塔に線香の一本でも、花の一輪でも

備えて祈れば、、とてつもない罪も消えるであろう。

大昔には、お釈迦様の御骨が埋められていた塔が、この国に

伝わったもの。

長者堂の下に、古い瓦が残されていました。

九州の真野長者が、海難事故から救われ、御利益をいただ

いたお礼にと、一夜で建てた話の残る、長者堂。

長者堂と本堂をつなぐ階段

向こうに大師堂が見えています。

札所には、いろんな話が伝わる。

続く。