H16,4/21、9日目⑮(2004年)海へ、、 | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

↓古いノート記録の書き出し、最初の日のリンク。

ノートの記録があるので、参考に書いていきます。

20年も前の僕の言葉です、、、。

注:もちろんデータは古いです。

 

平成16年の遍路旅は、用意したデジタルカメラのデータ容

量が、少なかったので、この辺りの写真がありません。

ノートを見ながら書きつつ、、

その後の平成16年より新しい旅の写真を借ります。

 

この辺りです。

(↓平成30年(2018)2月の写真)

続く。からです。

海沿いの遍路道をのぼります。

景色を見て、「あぁ、、」と思う人も多いでしょう。

(↓平成30年(2018)2月の写真)

自然も多く、小鳥さんも歌う道

出会うと、とっても嬉しくなる♪

(↓平成22年(2010)1月の写真)

歩きながら、唱える、、

南無大師遍照金剛

お大師様の名を呼べば、一緒にいてくださると言った。

お大師様は、高野の奥で、今も祈ってくださっている。

(↓平成30年(2018)2月の写真)

この道、、多くの遍路人が歩いた道。

阿波、徳島の最後の札所を目指して、足を前に進める。

焼山寺の遍路ころがしを思い出すだろうか、、

鶴林寺・太龍寺の、鶴と龍の道が浮かぶだろうか、、

徳島で出会った、誰かのこと、、家族・友人。。

ここまでの歩みを背負って行く。

(↓平成30年(2018)2月の写真)

黄色い札が光るキラキラ

(↓平成30年(2018)2月の写真)

山頭火先生の言葉だな

(↓平成30年(2018)2月の写真)

開けた場所に出た。

(↓平成30年(2018)2月の写真)

山座峠まで1.0Km

木岐の町から2.2Km

僕の目指す先は、いったいどのくらい先なんだろう。

そして、どこを、、目指すのだろう。

(↓平成30年(2018)2月の写真)

土の道から、県道25号に合流しました。

白浜の休憩所から、車道を登れば、ここに来るはず。

(↓平成30年(2018)2月の写真)

写真の頃は春の前の2月。

温かい日差しが注ぐ。

この日は、天気だったんだな。

1回目に、国道を進んだ時は、大雨大風だった。

いろんな天気の時がある。

雪の日、、あっつい日、、

気持ちのいい日、、濡れて辛い日もある。

(↓平成30年(2018)2月の写真)

お遍路に来て、、88の札所を目指して歩いている。

心は、自分が何を願い、目指すか、祈るか、、

行く先を探す。

誰かの供養を願う。

自分の問題にも向き合う。

僕は誰?何を迷っている?

何がしたい??

、、、自分は、、なんなん??

 

そんな僕の前に、景色が広がる。

大きな海、、小さな自分

(↓平成30年(2018)2月の写真)

峠に石の仏様が3体

阿波学会研究紀要

郷土研究発表会紀要第40号

由岐町の峠道には、

 峠の道路より2mほど上に、3体の石仏があり、右側が

不動尊、他の2体は地蔵尊。

いずれも明治の年号が刻まれている。

左端のものだけ外囲いがあり、そこに「天保十一年十月」

の銘がある。とのこと。

(↓平成30年(2018)2月の写真)

中野政藏 年八十二才

同妻セキ 年八十〇才

那賀郡、、、、。

ご夫婦の名が刻まれている。

m(_ _)m

(↓平成30年(2018)2月の写真)

こちらが囲われたお地蔵様

中の仏様の石には、明治17年申年、、、と。

囲いの石には、天保11年10月とあるらしい。

(↓平成30年(2018)2月の写真)

こちらは、お不動様

阿波学会研究紀要・郷土研究発表会紀要第40号

由岐町の峠道の写真には、3体の仏様は、並んでいるので、

元の位置から、なんだかの理由で、下に移動されたと思われる。

(↓平成30年(2018)2月の写真)

(↓平成30年(2018)2月の写真)

2体のお地蔵様の右に、明治の年号の入った台座が残されて

いた。

(↓平成30年(2018)2月の写真)

お不動様は、もとはこちらに立たれていたのだろう。

(↓平成30年(2018)2月の写真)

携帯電話のアンテナ基地だな。

今の時代には、とっても大切。

(↓平成22年(2010)1月の写真)

山座峠の休憩所

(↓平成22年(2010)1月の写真)

少し足を休めて、、先に進む。

中にこの先の地図が貼られている。

(↓平成20年(2008)11月の写真)

もう、、日和佐も近い。

山座峠の小屋の脇から、下って行こう。

(↓平成30年(2018)2月の写真)

峠より、、海へ向かう

(↓平成22年(2010)1月の写真)

続く。