↓古いノート記録の書き出し、最初の日のリンク。
ノートの記録があるので、参考に書いていきます。
20年も前の僕の言葉です、、、。
注:もちろんデータは古いです。
平成16年の遍路旅は、用意したデジタルカメラのデータ容
量が、少なかったので、この辺りの写真がありません。
ノートを見ながら書きつつ、、
その後の平成16年より新しい旅の写真を借ります。
この辺りです。
(↓平成30年(2018)2月の写真)
続く。からです。
海沿いの遍路道をのぼります。
景色を見て、「あぁ、、」と思う人も多いでしょう。
(↓平成30年(2018)2月の写真)
自然も多く、小鳥さんも歌う道
出会うと、とっても嬉しくなる♪
(↓平成22年(2010)1月の写真)
歩きながら、唱える、、
南無大師遍照金剛
お大師様の名を呼べば、一緒にいてくださると言った。
お大師様は、高野の奥で、今も祈ってくださっている。
(↓平成30年(2018)2月の写真)
この道、、多くの遍路人が歩いた道。
阿波、徳島の最後の札所を目指して、足を前に進める。
焼山寺の遍路ころがしを思い出すだろうか、、
鶴林寺・太龍寺の、鶴と龍の道が浮かぶだろうか、、
徳島で出会った、誰かのこと、、家族・友人。。
ここまでの歩みを背負って行く。
(↓平成30年(2018)2月の写真)
黄色い札が光る
(↓平成30年(2018)2月の写真)
山頭火先生の言葉だな
(↓平成30年(2018)2月の写真)
開けた場所に出た。
(↓平成30年(2018)2月の写真)
山座峠まで1.0Km
木岐の町から2.2Km
僕の目指す先は、いったいどのくらい先なんだろう。
そして、どこを、、目指すのだろう。
(↓平成30年(2018)2月の写真)
土の道から、県道25号に合流しました。
白浜の休憩所から、車道を登れば、ここに来るはず。
(↓平成30年(2018)2月の写真)
写真の頃は春の前の2月。
温かい日差しが注ぐ。
この日は、天気だったんだな。
1回目に、国道を進んだ時は、大雨大風だった。
いろんな天気の時がある。
雪の日、、あっつい日、、
気持ちのいい日、、濡れて辛い日もある。
(↓平成30年(2018)2月の写真)
お遍路に来て、、88の札所を目指して歩いている。
心は、自分が何を願い、目指すか、祈るか、、
行く先を探す。
誰かの供養を願う。
自分の問題にも向き合う。
僕は誰?何を迷っている?
何がしたい??
、、、自分は、、なんなん??
そんな僕の前に、景色が広がる。
大きな海、、小さな自分
(↓平成30年(2018)2月の写真)
峠に石の仏様が3体
阿波学会研究紀要
郷土研究発表会紀要第40号
由岐町の峠道には、
峠の道路より2mほど上に、3体の石仏があり、右側が
不動尊、他の2体は地蔵尊。
いずれも明治の年号が刻まれている。
左端のものだけ外囲いがあり、そこに「天保十一年十月」
の銘がある。とのこと。
(↓平成30年(2018)2月の写真)
中野政藏 年八十二才
同妻セキ 年八十〇才
那賀郡、、、、。
ご夫婦の名が刻まれている。
m(_ _)m
(↓平成30年(2018)2月の写真)
こちらが囲われたお地蔵様
中の仏様の石には、明治17年申年、、、と。
囲いの石には、天保11年10月とあるらしい。
(↓平成30年(2018)2月の写真)
こちらは、お不動様
阿波学会研究紀要・郷土研究発表会紀要第40号
由岐町の峠道の写真には、3体の仏様は、並んでいるので、
元の位置から、なんだかの理由で、下に移動されたと思われる。
(↓平成30年(2018)2月の写真)
(↓平成30年(2018)2月の写真)
2体のお地蔵様の右に、明治の年号の入った台座が残されて
いた。
(↓平成30年(2018)2月の写真)
お不動様は、もとはこちらに立たれていたのだろう。
(↓平成30年(2018)2月の写真)
携帯電話のアンテナ基地だな。
今の時代には、とっても大切。
(↓平成22年(2010)1月の写真)
山座峠の休憩所
(↓平成22年(2010)1月の写真)
少し足を休めて、、先に進む。
中にこの先の地図が貼られている。
(↓平成20年(2008)11月の写真)
もう、、日和佐も近い。
山座峠の小屋の脇から、下って行こう。
(↓平成30年(2018)2月の写真)
峠より、、海へ向かう
(↓平成22年(2010)1月の写真)
続く。