木々の中に、御社が見えます
諏訪神社です。
頭を下げて、前を通らせていただきます。
北に向かう
続く。からです。
12月の田んぼ、、暖かくなったら田植え、、それに向けて、
お休み中。
人も同じかな、、力を蓄えて、休む時がいる。
食べて、寝て、心落ち着けて、、
緊張ばっかり、走ってばかりじゃ、くたびれちゃう。
、、、僕は、休んでばっかり(/ω\)
田んぼの向こうに、、
愛媛FCがホームスタジアムとして使用している、
「ニンジニアスタジアム」(略称ニンスタと言うらしい)
農地で働くおじさん
お米にお野菜、ありがとう
来た方向、、池の方を振り向くと、お地蔵様
後から見守ってくださっている。
大地から栄養や水をいっぱい吸収して、上から陽を浴び、
美味しい空気も吸って、、豊かに実る。
自然から、色々教えられる。
人の手によって育っているが、自然から得たもので実る。
僕は自分で生きているようでも、
空気、水、日光、栄養、その他、大自然からの恵みがあって、
生きている。
僕は、、なんだろう。
植物の種と、何が違うのだろう。
僕は、、ただ、、種に水を与えられたもの?
畑で働いてくださる、おじさん
野菜を見たら、おじさんのことも思い出して、いただきます。
農地から、住宅地に出ました。
昔は、、この辺りも、田畑がいっぱいっだっただろう。
お大師様や、江戸の頃は、違う景色だっただろうな。
正面には、、四国のみちの道標
電柱にはへんろみち保存協力会のシール
導きありがとうございます。
おっと、、、横に遍路道標
「☜左 へんろミち」「☞ぎゃく へんろ道」
とってもわかりやすいな
ありがとうございます。
真っ直ぐではない道
昔からの道
ポールにへんろみち保存協力会のシール
ありがとうございます。
m(_ _)m
上から、チュンチュン♪
こんにちは(^^)/
水流れる道
何を写したのかな、、赤いお蔵かな
精肉店の看板、、お腹空いていたのだろう、、(;^ω^)
曲がっていく道
電線を曲げるのに、支えやつっかえが必要だね
愛媛県の案内シール
四国はお遍路さんに優しいな
道沿いに建物、周囲は農地だね。
道、、ぐにゃぐにゃ
ガードレールに青いシール
シールにもいろいろある。
これは、、別格20霊場の文字。
駐車場が見え、墓が並んでいます。
↓四国別格二十霊場公式サイトのページ
番外霊場(別)第9番札所 文殊院 德盛寺
本尊 地蔵菩薩
当寺は、かつての八坂寺八十四坊の一院の跡であるが、遍路の元祖と
いわれる右衛門三郎の菩提寺で、彼の私宅跡といわれる。
「石手寺縁起」「阿波焼山寺伝説」に詳細に記述されている。
(空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人 解説編より)
「衛門三郎八塚」
「四國遍路開祖 弘法大師御遺跡 衛門三郎八塚 文殊院」
四国八十八ヶ所発祥の寺院
衛門三郎様の邸宅跡とも言われる
愛媛県生涯学習センターデータベース『えひめの記憶』には、、
文殊院は、衛門三郎(右衛門三郎ともいう)の伝説で知られる寺である。
この伝説について真念は、『四国徧礼功徳記』の中で次のように記している。
予州浮穴郡右衛門三郎事、四国にていひ伝えかくれなし。
貪欲無道にて、遍礼の僧はちをこひしに、たヽかんとしける杖鉢にあたり、
鉢を八つにうちわりしが、八人の子八日に頓死せり。
是より驚きくやミ発心し、遍礼二十一反して、阿州焼山寺の麓にて死けり。
其時大師御あひ、その願をきこしめし、石に其名を書にぎらしめ給ひければ、
郡主河野氏の子にむまれ、かのにがりし石、そのまヽ手の内にありて、
右衛門三郎なる事をしれり
と、記されています。
四国遍路の祖と言われる「衛門三郎」様の話は、読む度に、、
教えられることがあるように思う。
ただの強欲な人の話では無い。
本堂
(2010年2月の写真)
大師堂
何だろう、、
パソコンで色を濃くしてみたら、
文化9年壬申 胎蔵界大日如来様の梵字
四國西国秩父板東、、と刻まれ
行者名も記されている。「海圓」様でしょうか。。
211年も前のもの。
お六部様の裏は石鎚堂
(2008年12月の写真)
神変大菩薩様を中心に不動明王樣、蔵王権現様
境内に、お大師様の大きな石像が見えます
お大師様の後ろは、衛門三郎様と奥様
(2006年3月の写真)
衛門三郎様が八人の子を失い、大師様を追って巡礼に出る場面
こちらは、、
「文殊菩薩さま、弘法大師さまをおみちびき」の像
お寺さんは、正月の準備で忙しそうだった。
大きなお餅も並んでいた。
寄り道しよう
、、、今まで行ってなかった、八塚に向かう。
続く。