令和4年 9/16(8)春には、筏流し | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

何度来ても、素敵な巡礼地

続く。からです。

人はまず問題を選ばなければならない。

自分にとって、何が第一の問題であるか、何が自分にもっとも

おし迫っっているものであるかを知って、自分の心をととのえる

ことから始めなければならない。

という、、。

人それぞれ、問題は違うだろう。

お遍路を志した理由も気持ちも、みな違う。

この、長い道のりに、それぞれの旅が用意されていて、

自分を知ることになるきっかけをいただける。

わからなくても、悩みの中でも、、飛び込んでみたら

自分の知らなかった自分を知ることができる。

共に大師様がいてくださり、道々のお宝に気づく時、

忘れてしまった心の奥底が見え始める。

 

大師様が待っていてくださる。

尊い四国路。

 

さぁ行こう。

 

道々に、人々の生活が見える。

どんな生き方を、、自分はしたかったのか、、

いろんな人の様子も見ながら、自分にも問う。

僕は、何をするために生まれてきたのだろう。

とにかく今日は、、おむつ交換をいっぱいした、、、

、、、違う。

その行為も大切だが、行為を通して、長く生きてきた先人の

心に寄り添う行いが大切だったのだ。

、、、ただし給料は頂いているが。

自分がその立場だったなら、、

どうすべきか。

まだまだ、何も知らない若葉マークの僕。

30年もやってきて、わからない。

緑の景色

美しい水が流れる。

水、空気、土、太陽、命の不思議

種があったら、、

芽が出る?

出ない芽もある。

育ち方も違う。

いろんな種の種類もある。

種だけじゃない気もする、、、、

そこに、命が宿る瞬間。

鷺さんとの出会い

一瞬だったけど、、確かにここで会えた。

四国の愛媛の、、とってもきれいな川のそばで

僕の見る先、、、

小さくても、とっても可愛いんだ

歩き続けて、、可愛いと知った。

それまで、知らなかったんだ。

足を、前に前に出して歩く。

やっぱりしんどい。

でも行きたいんだ

、、、どこに?

、、、、、何故?

「戦争」という文字が見えているように思う石碑

命を懸けて、生きた方々がいた。

自分では、どうもできなかったかもしれない。

平和になって、学校にも行かせていただき、

歴史を学ばせてもらった。

自分は、自分は、、どうすべきか。

「筏の里 川登」

写真をズームアップ目上差し

 

急な岩場もある川を、とっても器用に下って行くんだな。

こんなに長くつないで、、皆さんバランスいいな。

船頭さん、先導?さん

素晴らしい

まるで、お四国の、大先達さんみたい(^^)

子供達も体験。

いつまでも忘れない思い出になるよね。

明治から大正、昭和初期にかけて小田深山や田渡で伐採された良質の木材は、

管流しや荷馬車を利用して突合に集荷され、筏師がフジカズラを使って筏に

組みました。当時の長浜は、三重県の新宮や秋田県の能代とともに、日本を

代表する木材集積地であり、筏流しの最盛期には、毎日平均30流れほどが

下ったといわれています。連ねた筏が、筏師の巧みな操作によって小田川を

下る勇壮な姿は、道路の整備やトラックなどの陸上輸送の発達により、

昭和20年代に姿を消しました。平成5年4月、小田川の自然環境を守ろうと

する地域住民の手によって、勇壮な筏流しが45年ぶりに復活、以来、毎年

川つつじが可憐な花を咲かせる4月第4日曜日に「川まつり・筏流し」を

実施しています。                  川登自治会

とのこと

この川を、、下るんだな。

鯉さんも元気に泳ぐ、清流 小田川

続く。