車道との合流点 四国のみちのポール。
観自在寺まで4.3Km
あと、1時間と少しですね。、、休まなかったら。
車道に戻りました。
続く。より、、、
数多くの人々が歩いた遍路道。
踏みしめられたその道には、その一歩一歩に願いが込められている。
「南無大師遍照金剛」
お大師様を慕い求め、、金剛杖を頼りに、、
何度も振り返る、、、
自分の今までの生きてきたことを、思い出すように、、
そして、前を向いたら、次の札所を目指して、、
「イッポンマツ」「トヨダ」
電柱に記された地名
へんろみち保存協力会のシール
ありがとうございます。
町が見えてきた
脇に、、お遍路さんの墓だろう、、
手を合わす。
「露月、、」と刻まれているよう、、、、、
露に濡れた月の夜に、、、なんて想像する。
ここまで歩いて来られたんだ。
観自在寺を目の前に。
「備中小田郡矢掛町」「竹村屋吉兵衛」と、、
文政年間の墓のようです。
、、、、、僕の悪い癖。
静かにされている墓を見てしまう。
南無大師遍照金剛<m(__)m>
お許しください、、
命を懸けて歩いておられた方がいた。
分岐点 右に、、
ありがとうございます。
迷わなくて歩けます。
少し行くと 城辺町指定文化財「豊田かま跡」があります。
愛南町のページを見ると、明治の初め頃に使われていた様子です。
その下に石柱や石仏が並んでいます。
橋のたもとに、徳右衛門丁石
これよりくわんじさいへ一り とのこと
愛南町のページに、ここの説明が書かれていた。
愛南町公式ホームページ/ 豊田石造物群 (town.ainan.ehime.jp)
大きめの笠のある石柱に、四つの仏様の名が刻まれている。
お釈迦様が正面のようだ。
お釈迦さま、お薬師様、阿弥陀様、裏は大日如来様
元禄7年に建てられていて、300年以上前のものらしい。
「本師釈迦牟尼如来」
「南無薬師如来」
「南無阿弥陀如来」
「南無大日如来」
四体の仏様
こちらが正面のようです。
頭部の無い仏様
五鈷杵と数珠
お大師様ですねm(__)m
愛南町のページに、烏八臼碑と呼ばれる石碑のことも書かれている。
「八臼烏本地大師」と彫られていて、
慶長2年のもので、400年以上の石碑とのこと。
どれか、、、わからなかった。
説明によると、ウハッキュウは曹洞宗の墓にのみ見られるものであり、
単独の碑に彫った例はない。、、、らしい。
この四角い石の上にも 仏様がおられたのかな。
m(_ _)m
ここにも石柱があっただろう
ここは、祈りの場。
多くの仏様の名や御姿があった。
400年 300年
もっと昔から祈られてきた。
そんな場所に足を踏み入れさせていただいた。
札所だけでない
88ヶ所のお寺だけじゃない
札所に続く道々に、祈りの場所がある。
この小さな川、、流れる向こう側に、
平城の札所がある、、、
少し歩くと、こんな景色が見えた。
野菜を洗ったり、洗濯する姿が見える気がした。
人々の生活があった水の流れ
生活の水場だっただろう。
長い時間の、、人の営み。
突き当りに出た
正面ポールに 赤い矢印
へんろみち保存協力会のシール
ありがとうございます。(≧▽≦)
こちらに向かいます。
左側 商店だったのだろう
続く。