令和4年 3/8(12)石に刻まれているのは、、、 | お遍路 の記憶

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大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

車道との合流点 四国のみちのポール。

観自在寺まで4.3Km

あと、1時間と少しですね。、、休まなかったら。

車道に戻りました。

続く。より、、、

数多くの人々が歩いた遍路道。

踏みしめられたその道には、その一歩一歩に願いが込められている。

「南無大師遍照金剛」

お大師様を慕い求め、、金剛杖を頼りに、、

何度も振り返る、、、

自分の今までの生きてきたことを、思い出すように、、

そして、前を向いたら、次の札所を目指して、、

「イッポンマツ」「トヨダ」

電柱に記された地名

へんろみち保存協力会のシール

ありがとうございます。

町が見えてきた

脇に、、お遍路さんの墓だろう、、

手を合わす。

「露月、、」と刻まれているよう、、、、、

露に濡れた月の夜に、、、なんて想像する。

ここまで歩いて来られたんだ。

観自在寺を目の前に。

「備中小田郡矢掛町」「竹村屋吉兵衛」と、、

文政年間の墓のようです。

、、、、、僕の悪い癖。

静かにされている墓を見てしまう。

南無大師遍照金剛<m(__)m>

お許しください、、

 

命を懸けて歩いておられた方がいた。

分岐点 右に、、

ありがとうございます。

迷わなくて歩けます。

少し行くと 城辺町指定文化財「豊田かま跡」があります。

愛南町のページを見ると、明治の初め頃に使われていた様子です。

その下に石柱や石仏が並んでいます。

橋のたもとに、徳右衛門丁石

これよりくわんじさいへ一り とのこと

愛南町のページに、ここの説明が書かれていた。

愛南町公式ホームページ/ 豊田石造物群 (town.ainan.ehime.jp)

大きめの笠のある石柱に、四つの仏様の名が刻まれている。

お釈迦様が正面のようだ。

お釈迦さま、お薬師様、阿弥陀様、裏は大日如来様

元禄7年に建てられていて、300年以上前のものらしい。

「本師釈迦牟尼如来」

「南無薬師如来」

「南無阿弥陀如来」

「南無大日如来」

四体の仏様

こちらが正面のようです。

頭部の無い仏様

五鈷杵と数珠

お大師様ですねm(__)m

愛南町のページに、烏八臼碑と呼ばれる石碑のことも書かれている。

「八臼烏本地大師」と彫られていて、

慶長2年のもので、400年以上の石碑とのこと。

どれか、、、わからなかった。

説明によると、ウハッキュウは曹洞宗の墓にのみ見られるものであり、

単独の碑に彫った例はない。、、、らしい。

この四角い石の上にも 仏様がおられたのかな。

m(_ _)m

ここにも石柱があっただろう

ここは、祈りの場。

多くの仏様の名や御姿があった。

400年 300年

もっと昔から祈られてきた。

そんな場所に足を踏み入れさせていただいた。

 

札所だけでない

88ヶ所のお寺だけじゃない

札所に続く道々に、祈りの場所がある。

この小さな川、、流れる向こう側に、

平城の札所がある、、、

少し歩くと、こんな景色が見えた。

野菜を洗ったり、洗濯する姿が見える気がした。

人々の生活があった水の流れ

生活の水場だっただろう。

 

長い時間の、、人の営み。

突き当りに出た

正面ポールに 赤い矢印

へんろみち保存協力会のシール

ありがとうございます。(≧▽≦)

こちらに向かいます。

左側 商店だったのだろう

続く。