R1 12/17(7)思い | お遍路 の記憶

お遍路 の記憶

大好きな四国八十八ヶ所参りの、写真や日記を整理していきます。

鳥居が見えました。

3.5Km前の 高岡神社の鳥居です

続く、、、、、。  から

目指す高岡神社(五社)は、3.5Km先

嬉しいな、、またお参りできる。

 

↓昔の記事「階段」

http://ndhk4597.seesaa.net/archives/20081128-1.html

何故四国に来たのか、、って。

何がしたいのか、、って。

聞いてくださった そんな気がする。

 

心の赴くままに、

 

辰濃和男さんの本にも、書かれている。

「土を踏み 風に祈る 

    それだけでいい。」

 

ただ、歩く   景色を見る

日々 生きるように   ただ歩く

お遍路だから?じゃない

呼吸をするように 食べる 寝る 歩く

泣いたり 笑ったり

凄い!! 上手なデザインですね

雪の様に、白い虫が飛んでいました

きれいな 白い虫でした

新四国のみち 霧の四万十 五社街道

素敵な名ですね

高岡神社が、札所の時は、この道も賑わったでしょう

大師様も、、来たかな

36番札所 青龍寺から、随分歩いてきました。

目的地が近づくと、心が躍ります。

いろんなことを体験して、いろんなことを味わって、、

何も特別なことはしていない。

たいしたことも、していない。

日々の生活と、変わらない。

 

ただ、祈り 歩く、、

 

心の奥底にある、求めるもの、、

叫び、

 

そこに、気付き きっかけを頂ける、、そんな気がした。

 

えらくもない 悪くもない

歩くだけ。

小さな祠を見た、

何を感じたのか、、

良ければ祈り、、、良く感じなければ、無難に過ぎる。

身体、心の 赴くままに、

それは、日々の、生きている時間と、何も変わらない。

道は、続く、、、、結果なんてわからない。

いいんだ、それで。

 

今、、行くかどうかだな

遠くに、仁井田米の倉庫が見えます。

倉庫や、田畑を見ては、農家さんや気象、また歴史や、

おじいさん おばあさんのことや、、

いろいろ思い出す。

 

忘れていたんだな、、感じたり、考えること、、思うこと

 

自分のことばかり考えて、、、

人の気持ちなんて考えなかった。

 

自分の「快」ばかり思うから、自分を追い詰めてしまう。

道があり、木々も、草も、生きている。

決して、善人になって、自分を捨てることじゃない。

思い、、互いに、、共にいることだ。

栗のイガがいちていた、、

見る人によって、感じることが、違うんだろう、、

良かったり、悪かったり、、

どうして?

栗のせい?

じゃない、、自分の心の状態なんだ

栗が落ちていたから、撮ったんだろう、、

この写真を見て、寂しく思うのは、

僕の心の状態なんだ。

道は終わらない。

先の高岡神社を思って、心が躍ったり、

寂しく不安になったり、、

 

そんな自分の心を、感じることが、大切。

そして、周りの人も、同じように、、生きていると感じるように、、

そんな自分に なりたい

嬉しいな、、足を少し休めます。

ありがとうございます。

続く。