徒然名夢子 -18ページ目

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

新潮日本古典集成別巻 三
南総里見八犬伝第六輯
巻之三

 

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 その後、犬田小文吾は、ひとり縁側に出て、顔を洗い口を漱ごうと、手水鉢(ちょうずばち)の側に来ると、母屋の庭から流れ入る筧(かけい)の水の中に木の葉があったのか、手水鉢に浮かんでいた。ふとそれを取り上げてみると、それは和多羅葉(わたらえふ、モチノキ科モチノキ属タラヨウの葉は、裏を傷つけると黒く変色し、文字を書くことができる)と呼ぶ木葉で、その裏には何か書かれていた。何かあるのかと、その裏をよく見ると、

 《わけ入りし 栞(しおり)たえたる麓路に 流れも出でよ 谷川の桃》

 と、一首の和歌が詠んであった。よくよくこの意味を考えてみると、

 「これは昨夜の酒宴の席上で、あの桃源を演じた旦開野(あさけの)がよこしたものではないだろうか。もしそうでなかったならば、私の脇差の刀の側に、あの釵を落としたのも、何らかの意図があったと考えられる。これも馬加の謀なのかもしれない。あの常武は、去年から私を押し止め幽閉しているが、昨日になってにわかに、母屋に招いて、親切そうに歌舞酒宴を開き、どういうつもりかわからないままだったが、彼は元より逆臣で、主君の自胤殿を滅ぼすために、私を股肱とするつもりなのだろう、との密議はなんとか説得されずに、見た目には、受け流してみたものの、だからと言って今更自分の志をあらためるわけにはいかない。なお懲りずに色をもって、私を逆徒に引き入れようという、考えであれば、おかしなことだ。しかし、はじめから彼の密議に従わず、さらに色をもって誘うのを怒りにまかせて罵ってしまえば、彼はすぐに私を殺害しようと計画するだろう。そうなってしまうと、逃れるのが難しくなり、時の運にまかせるしかなくなる。今、義のために捨てる命を惜しむ理由もないが、嘆き残す親の事、互いに生死を約束した四犬士(しけんし)にめぐり逢うこともできず、曳手単節(ひくてひとよ)の行方すら、不明なままで空しく、誰かが我が生き様をこのようだったと、告げる者もいないのだ。こう思い、彼を思えば、世に稀な旅泊の悲しみ、腸を断ち、巴峡の猿(はきょうのさる、巴猿。猿の鳴き声が峡谷に響き、郷愁を誘うこと)が叫ぶのを聞いた人は、既に覚悟を決めて、逃れることができれば、逃れればよい。ただ用心に越したことはない。」

 と思い返して、夜は殊更、微睡(まどろみ)もせずに身を護り、三度の膳も、その他の事も、母屋からの扱いについて、日々変わらず、しかしまた招かれることもなく、おおむね閑暇無事(かんかぶじ)に過ごし、十日ほど経った頃、降りだした五月雨の軒の玉水の音だけとなった、五月(さつき)半ばに、気をゆるめてはいなかったが、さすがに疲れてきて、ある夜うたた寝してしまうと、縁側の雨戸を閉めずに居て、めずらしく空が五月晴れの十四日の月が、影なく辺りを照らしていたので、障子に映る人影があった。小文吾はたちまち驚き目覚めて、

 「抜かったか」

 と急いで頭を擡げてふりかえると、外の方で、

 「あっ」

 と叫ぶ声がして、どっと倒れる人の音に、小文吾は再び驚き、刀をひっさげて、縁側の障子をゆっくりと開けてみれば、紛うことなく、忍の曲者で、手には刃を持って、仰向けに倒れた人の項(うなじ)から血が夥しく流れていた。

 「これは何者かが、私を助ける為に殺したのか」

 と思ったのだが、疑い怪しんで、真昼のように明るい月をたよりに、この死骸を引き起こしながら、よく見ると、桃の花を模した白銀の笄(かんざし)が盆の窪(ぼんのくぼ、後頭部から首筋にかけてへこんだ部分、うなじ)の真ん中から、喉笛まで貫いていた。そしてこの死んだ者は、常武の股肱の若党、卜部季六(うらべのすえろく)だったので、

 「なるほど、常武は私の虚をついて、この者に刺客を命じたのだと思うが、この笄は、私が知っている限り、あの旦開野の物であれば、私を助けたのは、あの女性なのか。彼女は女田楽の一味だが、輪鼓、品玉、刀玉、八玉、綱渡りといった技も、確かに長じた者であれば、演じることよりで自然と熟練して、手裏剣のように撃つことも、優れて身につけたのだろう。そうであろう。」

 と考えてみるが、迷いは解けない夏の霜、傾く月影を見れば、夜はすでに丑三の頃(午前二時)になっていたのだった。



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