徒然名夢子 -17ページ目

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

新潮日本古典集成別巻 三
南総里見八犬伝第六輯
巻之三

 

(この6 ここから)

 このようにして、小文吾は再び心の中で、

 「この季六が打ち殺された事は、すでに常武に知られたのならば、彼は必ず多勢で、私を捕縛しようとするだろう。ここでは死骸を隠して、知らないふりをして、常武がどのようにするかを観察して、生死をそこにかけるべきだ。」

 と独り頷き、熊笹のそばに落ちていた手頃な石を、掻き起こしてきて、死骸の裳裾(もすそ)に包んで、その後、曲演の深水(ふかみ)へ、いきなり沈む頃から、月はたちまち雲隠れして、朦朧(おぼろおぼろ)となると、向こうの庭の松に伝って、すでに築垣(ついがき)を越えてくる者があった。小文吾は、それに素早く見透かして、

 「さては、再び私へ向かう者か。今こそ」

 と歩みを潜めて、体を覆う袖垣(そでがき)を小楯(こたて)として隠れ待っていた。するとその曲者は、頬被りした手拭いの端を咥えて築垣を、ひらりと降りたって、こちらの庭面(にわもせ)、木の間を次々に巡り来て、まず、縁側に手をかけて、屋敷内を透かし見て、進み入ろうとしたところに、小文吾は素早く走って、

 「曲者、待て」

 と叫ぶと同時に、刀をキラリと引き抜いて、切ろうとすると、

 「あっ」

 とばかりに、刃の下をあちこちに、潜り抜けながら、一間(いっけん、約1.8メートル)あまり、後ろのの方に飛び退いて、

 「やぁ、犬田殿、私でございます。あせって怪我をなさいますな。」

 という声を聞くと、女子である。小文吾は訝りながら、刃を小脇に引き付けて、

 「そういうお前は誰だ」

 と透かし見ると、天もやっと鮮明に、月が出て、覆っていた雲がすでに行き過ぎて、影もなく光に再び照らされると、見覚えのある旦開野だった。しかし小文吾は油断せず、

 「昨日、顔を知ったばかりなのに、このようなことをされる覚えは無いが、女子に似つかわしくない、夜中に垣を乗り越えて侵入し、忍んで来たのはどうしてなのか。」

 と問いただされると、恥ずかしそうに、

 「その疑いはよくわかりますが、先に私が手を出して、貴方の敵を討ち止めた、花かんざしをご覧になって、私の心は大方(おおかた)知られたでしょう、言葉もなく互いに見たのは、夏野の男女郎花(おとこおみなえし)、結んでいるのは玉の玉櫛笥(たまくしげ)、再びここに会おうと、神に願って、懸樋(かけい)に流した木の葉に示した、水茎(みずくき)の深い思いを、今更に知らない顔して薄情なのは、とても叶わぬ恋ならば、せめて貴方の手にかかって、死のうとまで覚悟して来たのを不憫だとは思いませんか。心はしっかりしていますか」

 と怨ずると、小文吾はこれを聞いて、あざ笑って、

 「浮世離れした技をもって、世を渡るというのは俳優(わざおぎ)の本質なのだろう。私はもとより色を好まない。自分に無実で囚われているが、その憂苦は別にしても、偽物の恋になびくことはない。それは本当の事では無いから、密かに人と謀って、私を迷わす手だてなのだろう」

 と言うと、(旦開野は)言われてとても恨めしげに、顔を注意深く見上げて、

 「先に送った歌だけならば、そのような疑いを持っても不思議ではないでしょう。女子のうえにあるまじき花笄に血を染めたのは、誰のためだと思うのですか。希婦(けふ)の狭布(せばぬの)の胸当てで、尽くした真心が届かないとは、さあ、さっさと殺してください」

 と刃を恐れず身を付け出して、覚悟の気色に、小文吾は、

 「そのようにおっしゃるのですね」

 と取り直して、刃をひっさげて、肩の上に立ち巡って、振りかぶると、少しも騒がない女子の心を、項(うなじ)を伸ばし、手のひらを合わせながら、付いたところを、小文吾は少しの時間見つめると、刃を鞘に納めてみたところ、解決出来ないこの難義に、しばし案じて、言葉を和らげて、

 「死をも厭わぬ、あなたの気持ちは、やや疑いは解けたけれども、ますます迫る我が身への禍(わざわい)は、とにかく今後遂げることができない夫婦だと思って、諦めて、とり急ぎ帰ってください。」

 と言うのを旦開野は振り返って、

 「そのような、お心があるのでしたら、どうして私を伴って、密かに脱出しようとされないのですか。手をこまねいていて、仇なす人に、苦しめられて後、終(つい)に、命を失ってしまうのでしたら、それは愚かではないでしょうか。」

 と励まされても、小文吾は、嗟歎(さたん、むなしく嘆くこと、少し感心する気持ちもある)に耐えられず、額を押撫でて、

 「脱出できるのならば、今日までこのようにしてはいなかった。あそこに閉ざされた諸折戸(もろおりと)を越えるのは簡単な事ではあるが、夜は殊更、出入りを許さない城の門戸をどうするべきかだ。」

 というのを旦開野は聞くと、

 「それはまた、手だてが必要です。私はこの二十日あまり、馬加殿に留められて、内外(うちと)の事をよく識っています。おおよそ、城を出入りする者は、昼は昼の符牌(きって、符牒のこと)があり、夜もまた夜の符牌がございます。密かに手だてを回して、その符牌を手に入れれば、出ることは難しいことはありません。」

 と囁き示すと、小文吾は、歓びが顔に表れて、

 「それは幸いですが、見とがめられれば、毛を吹いて、傷を求める後悔は内でしょう。ミスをしないでください。」

 と心を尽くして言うと、頷いて、

 「言われるまでもございませんが、ただ危ぶんで日を過ごしていた貴方の体はますます危ういでしょう。命に懸けて、明日の夜は、件の符牌を入手して、暁までは過ごしてください。すべての用意(こころがまえ)を住ませて、お待ちください。」

 との逞しい言葉に、小文吾は感激して、

 「これは、あなたの助けによって脱出することができれば、これは天縁(てんえん、神の導き)がついていることを示すものです。かつて約束した友の為に、為すべき事を成し果たして、ようやくこの身が落ち着くことができれば、迎え取って妻としましょう。先に卜部季六を、殺害した笄は、我が手に持っています。お返ししましょう。」

 と言いながら返せば、(旦開野は)手に取って、

 「眠れる龍の顎(あぎと)を探って、取る珠よりもなお難しい、符牌を取得するのです、私の命は、儚くそこで失われてしまうかも知れません。生死不定(せいしふじょう)の大事を抱えて、この笄をどうしましょうか。明日の門出の手向け草、小柴にかえて道祖神(さへのかみ)に捧げましょう。」

 と曲演(せんすい)へ、そのまま閃かせて投げ入れて、伏し拝みながら立ち上がり、

 「なぁ、犬田殿、話すべき事はたくさんありますが、語らうには夜は短く、ここれ日が明ければ、岩橋の契りも遂に、絶えてしまうでしょう。ただ明日の夜をまったほうが良いでしょう。では後ほど」

 と言いかけて、元の木の間を巡り入って裳裾をかかげて、築垣へ昇るのも素早く田楽の素早い技に熟練した身のこなしで、ひらりと松に手を掛けて、あちらの庭に向けっていって、その姿は見えなくなった。ああ、伶人(れいじん、楽人)にも隠れた君子(くんし、人格の優れた人)がいて、歌舞伎にもまた節操遊侠(せっそうゆうきょう、信念の守って仁義を守る)人々もいるものである。昔、逢坂山(おうさかやま)の蝉丸(せみまる)は、栄枯得失(えいことくしつ)、遇不遇の実例を諷詠し、みずからはこれを琵琶にあわせて、これによって濁世(どくせ)の煩悩を脱離したという。また華夏(みやこ)の静娼(しずめ)は、鶴岡の社壇で、廷尉(ていい、司法官)が別離の愁訴に代えて、吉野山の歌を吟じて、右幕府(うばくふ、右大臣の幕府で、源実朝の政府、鎌倉府のこと)の怒りを恐れてはいない。ましてや千寿が重衡(しげひら)を、相哀れんで死に到り、また微妙が親を慕って、尼になったようなことで、またそのところを得たと言われている。

 結果的に、旦開野は、密かに小文吾を助けて、今後どのような物語になるのか。その次の巻で、それを解いていき、知らしめようと思う。

(この6 ここまで)

(第五十六回 了)
(南総里見八犬伝第六輯巻之三終)