里見八犬伝第六輯 巻之四 第五十七回 その4 (第五十七回 了) | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

新潮日本古典集成別巻 三
南総里見八犬伝第六輯
巻之四

 

(この4 ここから)

 こうして、毛野は小文吾を渡し終わると、その縄を切って水中へ捨てて、天(そら)を仰いで、

 「東はすでに白んできましたので、中途半端に陸地で逃げれば、城の追っ手に捕縛されるでしょう。墨田河を渡って、共に進むべき方向を決めましょう。」

 と言うと、小文吾は頷いて、同時に踵を巡らせた時に、城中が急に騒がしくなり、人数を集める太鼓の音がとても激しく聞こえてきたので、両人はきりりと振り返って、すでに毛野は頷いて、

 「察するに、渡しが討ち漏らした常武の下僕らの訴えによって、城から多くの兵士が早く我々を捜索して、捕らえようとするのでしょう。これは恐れるに足らないことですが、まだ籠山縁連(こみやまよりつら)という、一人の讐(讐)がいます。今更、追っ手の城兵と、戦っても何にもなりません。さあ行きましょう、私と共に、急いで向かい岸に渡りましょう。」

 というと小文吾は反論も無く、

 「私も、そのように思います。さあ、急ぎましょう」

 と後になり、先に立って、足早に墨田河原に向かい、渡し船を探したが、舟が一艘もなかった。ここは武蔵と下総の境川として有名で、その水上は遥か秩父山より流れ来て、下流は果ての無い海に繋がっていて、坂東一、二の大河で、おりしも降り続いた五月雨で、水かさが増して、波が高く、浅瀬はすっかりなくなっているから、繋いだ舟も無いのかと、同じ河原を幾度となく、往復すると、天(よ)は思い通りにいかないのか、明けてしまい、遠くから人馬の足音が聞こえ、埃を蹴立てて轟々(どうどう)としていた。毛野と小文吾は、これを見て、

 「追っ手は既に近づいているようです。切り抜けて、陸を逃げましょう、またはなんとかこの河を渡りますか」

 と、考える間もなく、水際(みきわ)に身を落ち着けたのだった。

 ある場所に、千住の方から、流れに従った柴舟(しばふね)が、こちらの岸を離れること、たった一反(いったん、約1.8m)に、棹をとり思案している者を、毛野と小文吾は同時に見付けて、天の助けと手を挙げて、

 「やぁ、暫し待ちたまえ、乗船したいので、こちらに寄せてください」

 と招いてみたが、頭を振って漕ぎすぎようとする。毛野はそれに大きく怒って、

 「頼んでいるのに、聞かないというのはどういうことでしょうか。貸さなければ、今、借りるだけです」

 と罵りながら、水際に沿って一町(いっちょう、約108m)ほど追いかけると、船人はふたたびあざ笑って、棹(さお)をしまって、艪(ろ)を立てて漕ぎ出そうとすると、毛野はひらりと身を躍らせて、一反ほど隔たりのある舟にパッと飛び入ったのだった。船人はこれに驚き、怒って、棹を持ち直して撃とうとするのを、

 「このようなこと」

 と引き外して、怯んだところを蹴り倒して、足でしっかりと踏み据えて、漕ぎ戻そうと艪を押したが、矢よりも速い出水の勢いで、進退が自由にならないため、思わず押し流されてしまい、川下へ遠ざかるのを、小文吾は見て、少しも狼狽えず、諸肌脱いで、単衣(ひとえきぬ)の袖を巻き上げて、両刀を挿したままで水中におどり入り、抜き手を切って、泳ぎ着こうと、速い流れは激しく波が高かったので、行徳辺りの塩浜で身につけた水練も、遂に追いつくことができず、とても難しい状況に陥った時に、物を何個か積んだ大平駄(おおひらた)の舟が一艘、千住の方から漕ぎ来た。小文吾は辛うじて、この舟の船縁に手をかけて乗り移ると、二人、三人の船子供が、驚き騒いで大声を出して、

 「この盗人が朝働きで、米を盗もうとしているのか。なんてやつだ。打て、括れ」

 と罵り、左右から同時に攻撃してくるので、小文吾はすばやく身を翻して、二つ、三つ、四つとあちこちへ、やりすごしているのは、櫓櫂(ろかい)の正中、諸手で掴んでねじ伏せて、曳声(えいこえ)かけて奪い取り、櫂を真っ向から振り上げて、打ち据えようと睨んでいるが、腕にすがるように一人の船長が、あわてるように震える声で、

 「やぁ、あなたは古那屋の若旦那ではありませんか、しばらく怒りを納めてください」

 と詫びながら、只管小文吾を止めたのだった。

 この人は、いったい誰なのか。それは次の回に説明いたしましょう。


(この4 ここまで)
(第五十七回 了)