さて、ここからは物語が別れる。
そうこうしているうちに、犬塚信乃戍孝は、十九日の未明に栗橋の駅(うまやじ)で、額蔵と袂を分かち、何里もかけて許我に赴き、城下の町に旅宿しを定めて、御所の案内を問い究めて、執権横掘史在村(よこほりふひとありむら)の屋敷に行って、名簿を見せて、由緒を述べ、亡き父犬塚番作の遺訓に従って、昔御所の兄君、春王殿より預かった村雨の宝刀を持って、推参したことについて、取り次ぎの若党によって愁訴(しゅうそ:事実を述べて訴えること)したのだった。そして待つことやや長くなり、在村が出て対面し、またその父祖の由緒を、軍功を糾明し、
「御所様(成氏のこと)は鎌倉にいらっしゃった頃、持氏朝臣の旧臣が結城にて討ち死にしたものの子孫を悉く召された折、番作は来ていなかった。宝刀さえ披露しなかったのは、いかなる理由か」
となじり問うと、信乃は親番作が深手によって遂に廃人となったこと、また叔母婿大塚蟇六が事を告げて、遅参の疑いを言い訳として、その弁論が爽やかだったので、敢えて伯母と伯母夫の好悪を明らかにせず、ただ亡き父の義気を隠さず、言葉少なくして話の筋を明確にして、趣意を細かくしたところ理解してくれた。在村はその才幹に驚いて、心にこれを否む気持ちはあったが、さて止めてはならないと、しばらく沈吟して、
「由緒はよくわかったが、持参の宝刀が間違いなければ、さらに老臣等と相談して、近日御所様に報告しよう。旅館に下がって待っておれ」
と言うとようやく安堵した信乃は、仰せのままに従うように承って、やがて旅籠に立ち返ると、その日は既に暮れていた。
そして、その明くる朝、信乃はにわかに思い出し、
「村雨は名刀で、我が父は日頃、これを巨竹(おおたけ)の筒に納めて、梁に掛けていたところ、一つも錆びた事が無かった。大人が亡くなって、私は日頃から腰に帯び、枕に立てて盗まれないようにと思うばかりで、試し抜くことがなかった。ならば、今許我殿へ参らすのに、刃の埃を拭っておこねば、心構ができないのと同じだ。このように旅宿で無駄に時間を費やす中で、良い手すさみになるな」
と思い、傍らに人がないのを確認して、ゆっくりと障子を引き閉めて、床柱の側に座を占めて、例の大刀を左手にとって、まず柄糸の埃を払い、しずかに鞘をおし拭い、引き抜いて刃を見ると、村雨ではなかった。
「これはどうしたことだ」
と驚きながら、また取り直して、じっくりと見ると、その長短は等しいが、焼刃はまったく似ていなかった。思いがけない事なので、胸が騒いで治まらず、またよく思い出してみると、
「私がこの大刀を片時も側から離さなかった時もなく、腰に差さない日はなかったのに、どうやってすり替えられたのだろう。あの時かと思いだすのは、神宮河の船中のこと。荘官が網につらrて、水中へ落ちたので、私を殺そうとするのかと思ったが、左母二郎さえ一緒になって、我が荘官を救おうとして続いて水に入ったとき、一人彼奴は船に残った、その時すり替えられたにちがいない。かの左母二郎の事は遊芸歌曲が上手な人で、武器を好むものではないと、日頃思っていたので、油断して、その時刃を抜いて確認せず、かつ夜中の事だったので、荘官の入水を救い、事に紛れて疑っていなかった。その夜から昨日まで、我が身の身体に他事を振り返る暇が無かったので、事がついにここまで来てしまった。ただ前問の虎を防いで、後門より狼が進入するのを知らなかったのは、我ながら愚かであった。既に宝刀を失っては、父に不孝の子になるべく、君に不忠の臣たるべし。ここはなんとかしなければ」
と考えると、怒れる眼の光は凄まじく、刃をパタッと投げ出して、腸(はらわた)を断つ、遺恨後悔、いまはなすすべが無かった。
そしてあるはずである宝刀がないのだが、刃を鞘に納めながら、たくさん嘆息し、
「宝刀は贋物である事を知らなかった日はどうしようもない。今その事を知りながら、許我殿のお召しを待つのは、私は貴人に嘘を言うことになってしまう。はやく訴え申し上げよう」
と思って、櫛笥(くしげ:櫛などをいれておく箱)をそっと出して、鬢をかきなで、袴の紐を結びながら、両刀をよこたえて、出て行こうとすると、すぐに城中から横掘在村の使いが来た。信乃はいよいよ不安に成、やがて対面すると、使いは若党両人だった。下僕を招いて、柳筥(やないはこ)から一領の衣装を出してこれを信乃に進めて、
「この度進上される宝刀の事、京の老臣大刀の一覧を経て、御所の見参に入ることになりましたので、速やかに登営してください。そこで時の衣装として一領を賜るようにとのことです。横掘殿の指図によって、お迎えに来たのです。さあ急いで行きましょう」
と言う。信乃は聞いて承諾して、
「仰せのこと承りました。私も、申し上げるべき事があるので、横掘殿のところに参ろうと、旅宿を出るところでございましたので、少し思う事がございますので、賜の衣装は、しばらく預けておきます。いざ、行きましょう」
と言いかけて、慌ただしく走り出ると、使いの若党下僕等は、納得いかない思い出、喘ぎながら従っていた。
その後、犬塚信乃は、頻りに走って、在村の屋敷に赴き、主の対面を請うたのだが、すでに登営して家にはいなかった。なすすべもなく、件の若党に導かれて、営中へ参ると、
「今は衣装を換えないのは、不敬になるかもしれない」
と思い、部屋の側で、あの礼服にあらためて、ここから近習の者に導かれて、遠侍に赴くと、周囲は厳重で在村が何処にいるのかわからなかった。それゆえに、信乃は宝刀紛失の件を訴える相手がおらず、ますます心が苦しくなった。しばらくして件の近習等が信乃を率いて滝見の間に赴くと、上段に御簾が垂れて、成氏朝臣の裀(しとね)があり、その手前に横掘史在村、御その他の老臣侍坐しており、左右には多くの近臣が連なっていた。また廊下の側には腹巻きした武士数十人が斉整として非常を縛め、整正として列を正しく並んでいた。その様子はとても晴れがましくみえた。既に、成氏は着座して、いまだ御簾を揚げていない。その時横掘在村は、遥かに信乃に向かって、
「結城の城にて討ち死にした旧臣、大塚匠作三成が孫、犬塚信乃、その亡父番作が遺言に従い、当家の什宝(しゅうほう)、村雨の一刀(ひとこし)を献上すること、神妙に思し召される。まず我らが一見しよう。大刀を参らせたまえ」
と言われて信乃は、
「一期の浮沈」
と思ったが騒がずに頭を揚げて、
「その件の宝刀ですが、少し前に盗み捕らえてしまっているので、お時間をいただきたく。それは私が今朝方、刃を拭おうと引き抜き見れば、意外にも本当の刃ではなく、いつの間にかすり替えられたのです。思いがけない事でございますが、驚き悔いて、臍を噛んでもその甲斐もなく、よって早くこの事を、訟(うったえ)申すべきために推参しようと思うところで、お使いを給わって、慚愧に堪えず所存ございません。それで数日の宥免を蒙りえ、失った宝剣を穿鑿(せんさく:綿密の調査すること)すれば、取り返してまいります。この義をお願い奉ります」
と言い終わらないうちにありむらは、たちまち怒れる声を振り立てて、
「それは甚だしい過ちである。失ったという証拠はあるのか。どうだ」
と行きま責めると、その顔色に信乃は少しも臆せず、
「お疑いはよくわかります。遠侍に差し置いた、私が持参した一刀を取り寄せてご覧下さい。その刃こそ村雨ではございませんが、鍔も目貫(めぬき)、縁頭(ふちがしら)もその表装(こしらえ:拵え)はもとのままでございます。これがすり替えられた証拠です」
と言うのを聞かずあざ笑って、
「嘉吉から今まで、すでに四十年も経っている。六七有の翁であれば、よく知っている者がいるだろう。村雨がその証とするべきものは刃より立つ水気のみ。思うに、あやつは敵方の間諜者(まわしもの)にちがいない。さあ、生け捕れ」
と苛立つと、廊下に並み居る多くの力士が群がり立った。
(その2 ここまで)