足利氏とは何者なのか 1 フェイクニュース | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

 観応の擾乱を学んでいてある程度の、史観はできたが、やはり足利尊氏をはじめとする足利氏への理解が不足しているように思えるので、新たな勉強を始めようとおもう。

 

 最初に、実は足利尊氏は近年まで逆賊とされていた。しかしこれを逆転させたのが、NHK大河ドラマ「太平記」(1991年放映)である。学校の教科書ではく、テレビドラマで主人公の足利尊氏の生き様を見せられた私たちは、「逆賊」という姿とはほど遠いと感じた。単にドラマとして視聴した人も多いだろうが、やはりなぜ尊氏のドラマが必要だったのか、と考えざるを得なかった。というのもそれまでは南朝が正しい皇統で、これに弓引く者は逆賊である、北朝の系統は認められないという主張が本道だったのだ。このような史観になったのは明治四十四年一月十九日の読売新聞第一面の記事にはじまる。この記事では「尋常小学校の日本史資料で皇位は唯一で神聖であるべきなのに、南北両朝を対立させて、国家が分裂していたと文部省が先例を破った」とした。事実はそのような事はなく、明治三十六年以来「南北朝」の記述を教科書に採用しており、それまで問題視されていなかったのだ。なぜこのタイミングでフェイクニュースを新聞の第一面に掲載したのかというと、この南北朝問題を政治問題化しようという意図が一部の政治家にいたからだ。実際、足利尊氏が反逆者か、文部省の教科書編纂において皇室の尊厳を傷つけ、教育の根源を破壊したか、という論点で衆議院に問題提起した。これが明治四十四年二月四日で、これを起点として南北朝正閏(せいじゅん)問題が展開されていく。この問題を提起した藤沢某は教科書改訂を文部省に約束させると議員辞職する。なんとなく宙ぶらりんのまま、国民を巻き込んでの議論となり、明治四十四年二月二十八日に首相桂太郎は、明治天皇に上奏し裁定を仰ぐ。結果として「北朝五代は後亀山天皇の後に附載して皇統に加へず」という明治二十四年二月十六日の裁可に加えて「尊崇(そんそう)の思召により尊号・御陵・御祭典等総て従来の儘たるべき旨」を命じられたのだった。これで、明治四十四年七月二十一日文部省は南朝正統論の教科書改訂を決定、したがって足利尊氏は「反逆の賊」に貶められた。[森芳暁著 足利尊氏 角川選書]

 

 これ以降現代まで、足利尊氏は「反逆の賊」だった。平成元年十月の森氏の「小説新潮」の論文で「皇国史観の呪縛から解放されて四十余り年。そろそろのびのびとした南北朝時代の人間像が茶の間に映し出されるのを望みたい」と書き、NHK大河ドラマ「太平記」の放映まで、急激に世間が南北朝への興味を持つようになる。かくいう私もその一人だ。

 

江戸幕末期の強烈な尊皇思想は、倒幕によって強い皇国史観に転換される。その下地は江戸中期に遡り、本朝(我が国のこと)の成り立ちや思想が形成されていく。現在現代語訳を進めている南総里見八犬伝も、そのひとつだ。ファンタジー物語ではあるものの、歴史的な側面を持っているため、史観的思想を読者は知らないうちに身につけていく。

 

日本が江戸期から明治維新以降、西洋化を急激な文明変遷を行えたのは、市民の識字率の高さだろう。文字による知識や思想の伝播は、フランス民主革命の辻説法や会議といった方法より、高速だ。

 

さて、話が発散する前にまとめると、この連載では足利尊氏に付けられた「悪意」を剥ぎ取っていき、尊氏を中心として足利氏の姿を記述していこうと思う。