南総里見八犬伝 二 第三輯第二巻第二十三回 その4 | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

 この時より前に、亀篠は日待(ひまち:日の出を拝む行事)月待(つきまち:月の出を拝む行事)の時になって、網乾左母二郎を招いて、艶曲を聴くほど、左母二郎はいつしか浜路を見て思いを焦がし、人目を避けるように忍んで、露のような言葉を結び、淫らな色を見せて、あるいは鳥の跡を使って手紙を書いて送ったりした。どのような事を書いたのか、浜路は手に触れずにいて、とても嫌な辱めを受けたような気になり、その後は、網乾が来る度に、避けて再び顔を合わせなかった。これは人の性(さが)なので、習うようなものではない。したがってこの乙女は、その性質は親に似ず、行いはすべて貞(ただし)くて、信乃には親の言葉として、前々から許すとの事があったが、それすら、いまだに婚姻を、結ばない夫だが、互いに親しくしているが言葉は交わしていない。言うまでも無く、浮いた風流士(みやびと)に、名前が広まることがあれば、女子の恥辱はこのうえなく大変な事になる、と深く思って、これらの人を引き入れた母親を、心がけが足りないと思っていた。それで、簸上宮六等が宿泊した夜に、両親が訳もなく、浜路を給仕に座らせて、左母二郎と一緒に、琴よ小唄と賑やかに、酒宴の興を添えさせたのが、とても悔しいと思うので、人の諫めを聞かない、親の気質が嫌いになって、世間の恥と悲しくなり、少し一曲を奏でていた。
 
 浜路はこのように心は貞しい乙女だが、母亀篠の心は異なっている。亀篠は日頃から思うのは、
 
「あの網乾左母二郎は、鎌倉武士の浪人というが、とても愛しい美男です。彼の言うことには、鎌倉にいた日は食禄五百貫を宛がわれて、しかも近習の上位に位置し、殿の覚えがとても良く、出世頭の一番だといわれて同僚から深く妬まれ、反抗勢力ができて、しきりに讒言するものだから、退職することになったが、本当はこの処置は殿のお気持ちでは無い。したがって、そろそろ召返されるご内意があり、この里のわび住まいは、もう少しまでだそうだ。この人は今はみすぼらしいが、その話の通りならば、近いうちに帰参するでしょう。管領家の出頭人(きれもの)を、私たちの娘婿にしようという事の時間が足りない。今から情けをかけて、後の栄利につながると思う。親の心を子は知らないので、年下の浜路がひたすらに信乃を夫と思っていて、結婚を待ちわびている。先日ちらっと見つけたことがあった。惜しい娘を、可愛げの無い甥に一口振る舞って、田蛭(たひる)に喰われてしまったように、引き離すときに血で血を洗うような、後々までの痛みになるかもしれない。このことで網乾を勧めることで、網乾が浜路に惚れていれば、後々の害にはならない。浜路の信乃への情を寄せているのは、将来の役に立たない。また利を捨てて、男をとるとしても、左母二郎は美男であらう。手跡も美しく、遊芸にも明るい、歌声も絶妙だ。これは粋の中の粋というもので、信乃と同じように論じてはいけない。大人である私でも、夫がいなくては考えも狂ってくる。したがって浜路が信乃の事への思いを断絶させる囮として、網乾に勝る者はいない」
 
と思って、世間からの嘲りも、里人等が憤るのも反省せず、折に触れ、事によせては、頻繁に網乾を招くと、左母二郎は懲りずに、まずその親に取り入って、どうにかして浜路を手に入れようと思う淫心が見えて、要緊(ようきん:非常に大切なこと)の用事がある日にも、亀篠に招かれれば、使いと一緒に家にやってきて、また道で蟇六に出会うと、雨中であっても木履(ぼくり:木で作った履)を脱いで、わずかな俸禄の為でも無いのに、腰を低くかがめて、荘官夫婦は、ひたすらにその媚びられることを喜んで、弐(に:弐心、態度と心が事なり、裏で別の心があること)など無い者だと思っていた。
 
(その4 ここまで)
(第二十三回 ここまで)