南総里見八犬伝 一 第一巻 第一回 その2 | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

 さて、里見季基の嫡男、このころは又太郎御曹司(またたろう・おんぞうし)と呼ばれていた治部大夫義実は、まだ二十歳にもなっていなかったが、武勇知略(武芸・知恵)は父や祖父よりも優れていて、さらに文学の才能にも秀でていた。この義実は三年間父とともに籠城の苦しみにも耐えて戦ってきたが、この決戦の日も、軍隊の先頭に立って、敵を十四〜五騎も斬(き)って落馬させた。そして、さらに強い敵を引き付けて、一緒に討ち死にしようと戦い始めたところを、父の季基は遠くから見つけて、急いで義実を呼び止めた。
 
「おいおい、義実よ、勇敢な武士は敵に斬られ、首をとられてしまうということを忘れないでいるものだ。今日でおしまいだという気持ちはよくわかるが、親子でともに討ち死にしてしまえば、先祖への不孝になってしまうではないか。京都、鎌倉の幕府軍を敵として受け、裏切る気持ちなど全く持たず、勢力も弱まり、力も尽きた今、城は落城しようとしている。この父は義のために死ぬ覚悟であるが、子であるお前が親のため、先祖のためにここから脱出して、命が助かったとしても、誰にも恥じることはないだろう。早く脱出して、どこかで時期を待って、里見家を再興(さいこう)してくれ。さあ、早く逃げなさい。」
 
 と急がせたのだが、義実はいうことを聞かず、父に頭を下げながら
 
「そのお言いつけには従うことは出来ません。このような状況でありますが、親が必死で戦っているのに、それを見過ごして、おめおめと自分だけ脱出してしまうことは、三歳の幼児でもできないことでしょう。ましてや武士の家に生まれ、十九歳の私は、文武の道に入ってから、物事の順序、正しさ、昔の人々の得たもの、失ったものなど、大概の事を知ることができました。この状況で、お父様のお供をして冥土へ向かうものと思っておりましたが、死ぬべきところで死ぬことが出来なければ、人さまに笑われ、里見家の名前を汚し、先祖を辱めることになり、そのようなことを願ってはいないのです。」
 
 と勇ましく答えた。義実の青白い顔をじっと見守りながら父の季基は、その言葉を聞きながら、ときどきため息をついて、
 
「義実よ、立派(りっぱ)に、よく言った。しかしな、ここから脱出して坊主の服装に着替えて出家(しゅっけ)し、親の教えを守りながら、時期を待って、里見家を再興しなさいという、私のいうことを聞かないというのは、親不孝ではないか。お前も知っているように、足利持氏殿は、先祖代々の主君(しゅくん)ではない。そもそも私たちの先祖は、同じ一族の新田義貞殿に従って、元弘時代に戦い幕府創設に功績があったのだ。そのあと、新田一族は、南朝(なんちょう)の天皇の忠臣として活躍していたが、明徳三年の冬のはじめに、南朝の天皇が入洛(じゅらく・死ぬこと)されて、主人を失ったので、心ならずも鎌倉の将軍であった足利家(あしかがけ)に招かれて、家来になったのだ。亡き父の里見大炊介元義(さとみ・おおいのすけ・もとよし)は、持氏殿の父、足利満兼(みつかね)に仕え、私は、持氏殿に仕えて、今その持氏殿の息子達のために、死のうとしている。私の志(こころざし)は全(まっと)うしたのだ。こういった一族の歴史を理解しないまま、死ぬのは武士とはいえない。学問ができたとしても、このことを知らないのは、勉強したかいがないではないか。ここまで話をしても、私のいうことを聞かないというのならば、私のことを親と思うな。私もお前のことは子と思わない。」
 
 と語気を強めて義実に言った。義実は父の言葉に責められて、思わず乗っていた馬のたてがみに、露のような涙を落としたのだった。そしてこのしずくがたれるのを待っていたように、親子の生死の別れの時が来たのだった。海の音よりも大きな音や声をたてる敵軍を、季基はにらみ返して、
 
「時間がたつのは速いものだ」
 
 と思いながら、昔からの家臣である杉倉木曽介氏元(すぎくら・きそのすけ・うじもと)、堀内蔵人貞行(ほりうち・くらんど・さだゆき)達に目で合図したところ、氏元と貞行は、あらかじめ打ち合わせしていたように、同時に身を起こして、
 
「私たちがお供いたします。さあ行きましょう。」
 
と義実に口をあわせて言った。氏元は義実の馬の口元の轡(くつわ)を引いて、貞行はその馬の尻を打ち、追いながら馬を走らせ、この従者二人は義実と一緒に、西に向かって脱出していった。この光景は、昔楠木正成が奈良の桜井という宿場から、その子の正行(まさつら)を自分の陣地に戻るように返した時の気持ちと同じ忠魂義胆(主人のために働こうとする気持ちと、正義のために生きよう、死のうとする心)を示しているようで、このような男でありたいと、戦場に残った兵士達は思いながら、義実が脱出していく方向を見つめ、整然と隊列を組んでいた。
 
(その2 おわり)
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<<雑記>>
第一回の登場人物・関係、家系図(概ね史実と同じ)
登場していない人物は()で括ってある。
 
「結城合戦」が行われた場所だが、現在の茨城県結城市にある結城城に籠城した結城氏朝、持朝ら(反幕府勢力)に幕府軍が攻撃を仕掛け、配線の色が濃くなると籠城組から徐々に落ちる者がでてくる。この時代では城といっても長屋のようなものだから、落ちるとしても主に裏口からで、責める敵も当然そのことは知っている。ただし、よっぽどのことが無い限り、落ち行く者を捕獲し殺害しない。しかし八犬伝の世界では、落ち行くことが不義であるという。このあたりが史実が室町末期から戦国時代を経て、儒教に支配され江戸時代の読者にわかりやすいように、登場人物達の主義主張が江戸時代化されている。
 
ちなみに結城城は、江戸時代結城藩の藩庁が置かれた場所で、江戸時代前期一時廃城となっていた。