百人秀歌(百人一首) 第92 たまのよを....(式子内親王:しょくしないしんのう) | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

92 式子内親王  新古今和歌集
 玉のをよたえなばたえねなからへば しのふることのよはりもそする

 式子内親王(しょくし(のりこ)ないしんのう)は平安時代末期、後白河天皇の第三皇女。女流歌人である。母は、藤原成子(高倉三位)で、殷普門院、以仁王は同母姉弟である。

 この歌だが、「忍恋」が題だ。式子内親王の家司のようなことを藤原定家が携わっていたらしく、それが忍恋へと発展したという話が残っている。定家の日記「明月記」ではしきりに親王家に通う自身の姿が描かれているが、内親王が薨去した際には1年近くもそれに触れていない。

 また、定家と内親王の恋話に父の俊成が別れさせようとしたところ、定家の家にやってきたが、定家は留守で、内親王のこの歌が机の上に置いてあったという。これをみた俊成は二人の恋が本物であると納得し、もうなにも言わなくなったそうだ。

 まず、この歌は本歌取だ。万葉集、2789、詠み人知らず

 玉の緒の絶えたる恋の乱れなば 死なまくのみそ又も逢はずして

また、和泉式部が詠んだ

 絶えはてば絶えはてぬべし玉の緒に 消えならむとは思ひかけきや

がある。

 とにかく、式子内親王は忍恋の苦しさに堪えかねた絶叫が、この歌なのだ。きっとこの歌(しかも自筆)を受け取った定家は、あわてて内親王宅へ向かったに違いない。そこに俊成がやってきて、事の次第を瞬時に理解したというわけだ。歌意は、

 我が命よ、これで絶えてしまうならば、もういっそのこと絶えてしまってよ、このまま生きながらえて、じっとこらえて忍んでいると、もう弱ってしまってたまらないの


 この歌のうまさは、「たまのを」が恋相手の男と、自身の命の両方を指しているところだ。恋相手の男ならば「たえね」は「屈しないで公にしてよ」となり、自分の命ならば「いっそのこと死んでしまいたい」という意味になる。すなわち、

 もう絶えられない、ちゃんと結婚するか、殺すか、どちらかにしてよ

という叫びだ。うむ、恐ろしい。

 しかし、結果として、式子内親王は出家、導師が法然といわれ、法然は彼女のことを「聖如房」と呼んでいたらしい。

 式子内親王の歌は、新古今和歌集に多く見られ、読んでいても飽きない。本歌取だろうと思って探してみると、やっぱりそうだ、そして本歌を読み込んであらためて、式子内親王の歌を見つめると、別の思いが見えてきたりする。歌風がさりげなく、練りに練った感じもなく、しかし深い部分で根がはっているところが、さすがに平安末期の和泉式部といわれるところだろう。和泉式部のような激しさが表に出てこないところが、またよいのだ。


狂歌
92 手柄岡持  才和歌集
 玉の緒も馬の尾に似て切れぬれば あはれこきうの音も聞こえず

 題「無常」、馬の尾は胡弓の弓に使われて、下句「こきう」が「胡弓」と「呼吸」に掛かっている。「呼吸」とすると、馬の死に際が見えてくる。秀句。