百人秀歌(百人一首) 第64 めぐりあひて...(紫式部) | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

64 紫式部
 めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半(よは)の月かな

 紫式部は平安中期の女流歌人。藤原為時の娘で、藤原宣孝と結婚し、夫の死後「源氏物語」の執筆を開始する。仕事は一条天皇中宮彰子の女房。当初は藤式部という名だった。後に住居の紫野にちなんで紫式部と改名。その才能から藤原道長に厚遇され、後宮での女流文学者達との交流も盛んに行った。定家選歌の中にも、後拾遺和歌集にも、彼女の友人達の和歌が多い。そういう点では、平安中期は漢詩の影響を大いに受けた男性歌人と、独特の緻密な倭(やまと)歌の女流歌人が、上手い具合に掛け合って花が咲いた時代とも言えよう。娘に大弐三位がいる。

 僕は源氏物語を、まったく読んだことはないが、紫式部の歌についてはかなり読んでいる。だからといって彼女の心情をちゃんと理解しているかどうかはわからないけれど。歌風は、かなりさっぱりとした感じだと思う。和泉式部とは違う。むしろ清少納言のような感じ。 

 初句いきなりの字余りである。「めくりあひて」、これは次の「みしや」と合わせて考えるべき詞である。「めくり・あひて・みしや」=「めくって、あわせて、みせようか」となる。あれれ、おかしな感じだ。教科書で学んだ歌とは違う様相になってきた。「わか・ぬ・まに」は「ぬ」を打ち消しの助動詞とすると、「わからない間に」となる、完了の助動詞とすると「わかってしまったら」となる。「わか」を「和歌」というようにも解釈できる、この当たり詞が交錯していて難しい。

 下句「くもかくれにし」は、「くも・かくれ・にし」、「くも・か・くれにし」の二重意。最初は「雲が隠してくれた」、後は「雲がくれた」。後解釈の「雲」とは「僧呂」のことだ。前の解釈で「雲」を僧呂だとすると「僧呂がなくなられた」という意味にもなる。「よは」は「夜半」、すなわち夜中のこと。または「余話」で世間に知れ渡った話。おそらく王朝物語の一部であろう。「月」は「夜半」と「雲」から導き出された詞で歌のハイライトだ。雲に隠れた夜半の月なので、得た物語が全部ではないという暗示だろう。

 訳してみよう。

 世間で評判の物語を手に入れたので、人に知られないうちに、さっそく見せてもらおうと思うのだけれども、どうもこれは物語の一部ではないかしら。あの僧呂は嘘をついたのね。

 この歌、沓冠がタングラムになっている。

冠:めみわくよ(左から右へ)
沓:なしにもて(右から左へ)

 下句の2文字をひっくり返すと

 「めみわ・よく、ても・なしに

となる。すなわち

目と耳は良いのだが、手が無い(手癖が悪い)

または、

 「みめわ・よく、ても・なしに

で、

見た目はよいのだが、奥手で(つまらない)

となる。おそらく得た王朝物語の一部を、持ってきた僧呂が半分にでもして、別の女官に売ったのでは無いだろうか。いやはや、天下の紫式部の名歌をここまで下賤な感じで解釈してしまったから、きっと明日から僕は生きてはいけないだろうな。

 だって、初句が字余りなんだもの。ぜったい何かを隠しているというのが見え見えじゃないか。本来合ってはならない物があるから、それが余計なのだ。それは「」。「手」である。「」が無くなると「くりあひて」となり意味を成さない。「て」をとると、

めくりあひ・みしやそれとも・わかぬまに

とスムーズになる。「めくりあふ」としても良いだろう。しかし、そのような調和を乱してまで「て」を挿入したのは、紫式部先生からの大ヒントだったというわけだ。

 さらにいうと、

めくりあひ・て・みしや・それとも・わかぬ・まに

は、

その物語からめくって抜いたあんさんの手を見せてみぃや、それがわからんとでも思うてはる?

と読めて、なんだか気っ風の良いお姉さんが浮かんでくる。この調子で訳すと下句は

くも・かくれ・にし・よはのつき・かな

は、

坊主は西方浄土で死によるが、お釈迦様はいっこうに表れず衆々を助けてくれはらへんやないの。泥棒のあんさんは僧呂だから極楽浄土にいけるちゅうのが、はらたつねん

 ああ、良い感じ。だんだん紫式部のキャラが立ってきた。


狂歌
64 参禅嗣法  東見記
 千代能(ちよのう)がいただく桶の底抜けて くまなき月の影も宿らず

 我が国の女子参禅嗣法で有名な無着尼(むちゃくに)が大悟(悟りを開く)した時に詠んだ歌。「千代能」は自分の俗名(=幼名)。無着尼は陸奥守・藤原泰盛の娘で、金沢顕時の妻となり、一女(のちの足利貞氏の妻)をもうけた。出家したのは夫、または父に死別したからという話だ。「本朝語園」には、無着尼が修行中に薪水の労に服し、8月15日の夜、水を汲んで帰る途中に担ぎ上げていた頭上の桶の底が抜けて、冷水で全身ずぶ濡れになり、そのとき大悟したという。場所は岐阜県関市広見にある臨済宗相国寺派松見寺である。その寺には別の歌がある。

 とやかくと巧みし桶の底抜けて 水もたまらず月も宿らず

 一休和尚も彼女の存在を知り得たほどの、尼僧であったようだ。かなり面白い狂歌だ。