62 大貳三位(大弐三位) 後拾遺和歌集
有馬山ゐなの笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
大貳三位は平安中期の女流歌人。本名は藤原賢子(ふじわらのけんし)、藤原宣孝の娘、母は紫式部である。藤三位とも呼ばれる。3才で父と死別、18才で紫式部の後を継いで上東門院彰子(一条院中宮)の女房として仕える。様々な貴族との浮き名を流した後、関白・藤原道兼の次男・兼隆と結婚し、一女をもうけた。親仁親王(後冷泉天皇)の乳母に任ぜられ、東宮権大進・高階成章と再婚し、高階為家を生む。親仁親王が天皇に即位すると、従三位に昇叙し、夫成章も大宰大弐に昇進した。このため、夫と彼女の官位を合わせて、「大弐三位」と呼ばれるようになった。
さて歌。頭書には
「かれかれなるおとこのおほつかなくなといひたりけるによめる」
とある。意味は
「すでに別れてしまった男が、自分のことを忘れてくれるなと言ってくるので、詠んでみよう」
だ。
初句「有馬山」は「ありま・やま」で有馬付近の山々の風景の歌枕。ここでは、かつての恋人に対する恋心があるかしら、の「ある」と「ありま」が掛かっている。「ゐなの」は「居なば」の転化、または「否の」。「ささはらかせ」は有馬山から掛かる景色と共に、恋人の思い出、言葉、香り、そういった諸々の写像だ。「ふけは」は「かせ」に掛り「夫・来(け)・ば」で、「恋人のあなたが来れば」となる。
上句の意は、
有馬山の山々のように、私たちの恋路もいくつもの起伏がございましたね。しかし離れていったのはあなたのほうではありませんか。私のもとにいらっしゃりたければ、いつもの香りを身につけて、いつでも来られたのに
下句「いて・そよ・ひとを」。「いで」=「出で」・「居て」、「そよ」は上句「かせ」に掛かる。また、感嘆詞「そよや」の短縮、「そうそう」という意。「わすれ・や・は・する」の「や」は接続助詞で「~するとすぐに」の意。「は」は係助詞で、ここでは対比か強調・推量。「する」は「忘れ」を強調する補助動詞。
下句を訳してみよう。
そういえば、かつておいでになられたかもしれませんが、私の方はさっぱりとすぐに忘れてしまいましたの(だから、もうあなたとの関係は終わっているのですわ)
さてと、この歌、沓冠(冠沓と書くのが正解か?)をとると
冠:あゐかいわ
沓:まらはをる
すこし難しいが、たぶん、冠「愛歌意は」または「哀甲斐は」、沓「摩羅を祓う」または「魔羅(男)は降る」だ。意味は「逢いたい、恋しい、愛したいという歌をあなたとかわすことは、私の心の奥底の煩悩を呼び起こすものになりかねません、そこでこの歌には、その魔羅を祓いたいと思います。(もうお別れなのよ、わかって)」
本歌の方でも絶縁をたたきつけ、沓冠でも煩悩よ立ち去れ、と宣言され、前書きで書かれた男性の立つ瀬がないな。宮中で働く女性の聡明さと気位の高さ、こういうツンデレ才女系というのは、古今を問わず好まれたのだろう。
女流歌人の歌に裏を読み取れないのは、僕が非才なだけか。
狂歌
62 貞柳 貞柳全集
有難や御法(みのり)の縁を結び昆布(こふ) さても冥加(みょうが)にかなふみづから
豊後・月桂寺の住職から昆布を贈られた礼として詠まれた歌。「結び昆布」は昆布を結んだ縁起物。今では正月や結婚の結納品でみることができる。「みづから」は菓子の水辛(みずから)と「自ら」を掛けた。水辛は昆布を結んで砂糖を付けた菓子だ。作者の貞柳は大阪の人。瀬戸内海の海上交通は発達していたので、月桂寺のある臼杵とは頻繁にやりとりがあったのだろう。
歌意は、
「仏縁によって贈られたこの昆布は、何をとっても得がたいものだ。それにしても、気がつかないうちに、仏縁というのはつながっているものだ、ほらこの昆布にも知らない間に砂糖がかかって水辛のように、美味しくなってしまった」
ははは、おもしろい。