既自以心為形役
(既に自ら心を以て形の役と爲す)
奚惆悵而獨悲
(奚ぞ惆悵して獨り悲しむ)
「これまで自分の心を犠牲にしてきたのだから、もうくよくよ悲しんでいる場合ではない」
これは、陶淵明の『帰去来辞』の一節。
『帰去来辞』は、官職を辞して郷里に帰る心境を述べた詩。
「帰去来」は、「官職を辞して郷里に帰るためにその地を去る」という意味。
陶淵明(とうえんめい)は下級貴族の出身。
生活のため数回官職に就いたが、下級役人としての職務に耐えられず、いずれも短期間で辞任しています。
紫式部の父藤原為時も下級貴族。
984年(永観2年)、花山天皇の時代に式部丞・六位蔵人に任じられますが、986年(寛和2年)に花山天皇が退位すると辞任。
1011年(寛弘8年)には越後守となりますが、1014年(長和3年)には、任期を残して辞任。
辞任の理由はわかりませんが、何となく陶淵明に似ている・・・
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三径就荒松菊猶存
(三径荒に就けども松菊猶ほ存す)
「三本の小道は荒れているけども、松や菊はまだ残っている」
これも『帰去来辞』の一節。
「三径」とは、幽居の庭に3つの径(こみち)をつくって松・菊・竹を植えたという故事から、庭につけた3本の小道のこと。
『源氏物語』~蓬生の巻~にも「跡あなる三つの径」が出てきます。
荒れ果てた末摘花の邸宅に叔母の大弐の北の方が尋ねてきますが、庭は浅茅の原となり、生い茂った蓬は軒にまで届く高さ。
「この草の中にもどこかに三つの小道は残っているはず」と皆で捜している様子が描かれています。