平安時代、野ざらしにされる死体が多かったことから、化野(あだしの)・蓮台野(れんだいの)・鳥辺野(とりべの)・華頂(かちょう)・西院(さいいん)が葬送地として制定されます。
そのうちの
鳥辺野は、
六波羅蜜寺・
六道珍皇寺・
西福寺が建ち並ぶ「六道の辻」が入口とされ、
清水寺の南の阿弥陀ヶ峰の山麓付近が中心で、
今熊野神社や
今熊野観音寺にかけての広い地域だったようです。
疫病が流行すると「六道の辻」には、多くの死体が捨てられ、
清水寺の本堂(
清水の舞台)からも死体が投げ捨てられていたのだとか。