1180年(治承4年)、源氏再興の旗挙げをし、見事に鎌倉入りを果たした源頼朝は、先祖源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請した鶴岡若宮(又は由比若宮、現在の元八幡)を、小林郷北山に遷します。
はじめは仮社的なものだったようですが、翌年には本格的な社を造営しました。
1185年(文治元年)、父義朝の菩提を弔うために勝長寿院を建立します。
当時は「大御堂」とも呼ばれ、現在もその名が地名として残っています。
妻の北条政子、三代将軍の源実朝は、この勝長寿院に葬られたものと考えられます。
永福寺は、1192年(建久3年)、奥州平泉の中尊寺・毛越寺・無量光院を模して建てた壮大な寺院でした。
弟義経と奥州藤原氏の霊魂を静めるために建立したといわれていますが、それとともに頼朝自身の権勢を世に知らしめるためだともいわれています。