北条政子の演説~慈光寺本『承久記』~ | kurouの歴史メモ

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慈光寺本『承久記』によると・・・

後鳥羽上皇が武田信光小笠原長清小山朝政宇都宮頼綱・長沼宗政・足利義氏に北条義時追討の院宣を下したことを知った北条政子は、こう演説したのだといいます。


「皆よく聞きなさい。

私ほど若いころから物思いの絶えない者はいません。

姫御前(長女の大姫)・大将殿(源頼朝)・左衛門督殿(長男の頼家)・右大臣殿(次男の実朝)に先立たれ、四度もの辛い思いをしてきました。

今度、権大夫(弟の義時)が討たれることとなれば、五度目の悲しみを味わうことになってしまいます。

「女人五障」とはこの事なのでしょうか。

皆は、降る日も照る日も都での内裏大番を三年間務め、おおきな負担を強いられてきました。

それを右大臣殿(実朝)が朝廷と交渉して軽くしてくれました。

今、皆が京方について鎌倉を攻めることは、大将殿(頼朝)と右大臣殿(実朝)の御墓所を馬の蹄に蹴らせるようなもの。

御恩を受けた者がすることではありません。

私が深山に隠棲して、流す涙のを不憫とは思いませんか。

皆、京方につくか、鎌倉方につくか、有りのままに仰せられよ」


この演説で、武田信光が鎌倉に味方することを表明すると、意義を唱える者はなかったのだといいます。




京都文化博物館では、承久の乱を描いた「承久記絵巻」の特別展が開催されています。

期間:2021/4/6(火)~5/23(日)

時間:10:00~18:00

休館:月曜日
(ただし5/3は開館)


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