1180年(治承4年)8月24日晩、石橋山の戦いで敗れた源頼朝は、椙山に陣を布いていました。
そこへ箱根権現の永実が弁当を届けるためにやってきました。
(箱根権現別当の行実が、弟の永実に弁当を持たせたのでした。)
永実は北条時政に頼朝の所在を尋ねます。
しかし、時政は、
「頼朝様は、大庭景親の囲みを逃れることができなかった」
と答えます。
すると永実は、
「貴方は私の短慮を試されているようだ。
頼朝様が亡くなれば貴方は生きていないはず」
と問い返したといいます。
時政は大いに笑って、永実を頼朝のもとへ連れて行きました。
そして、永実は、持参した弁当を献上します。
頼朝も供の者も飢えきってたので皆喜びました。
土肥実平は頼朝に、
「世の中が落ち着いたならば、永実を箱根権現の別当にしてあげてください」
と申し上げると、頼朝はこれを承諾したといいます。
その後、頼朝は永実の案内で箱根に向かいます。
そして、箱根権現別当の行実邸は、参詣の民衆が集まるので、永実邸に入ります。
箱根神社は、古来「箱根権現」と称され、源頼義・為義・義朝・頼朝が崇敬した社。