八幡総本社の宇佐神宮のページによれば・・・
「八幡神」は「応神天皇」の神霊で、571年(欽明天皇32年)に初めて宇佐の地に顕れたのだといいます。
宇佐神宮の祭神は、八幡神(応神天皇)、比売神、神功皇后で、八幡三神と呼ばれています。
神功皇后は、応神天皇の母。
比売神は八幡神が顕れる以前からの地主神。
宇佐神宮は、奈良時代には、「八幡大菩薩」の称号をもつようになりました。
これによって、全国の寺の鎮護神として八幡神が勧請されるようになります。
そして、武士の尊崇を受けるようになります。
★石清水男山への勧請
859年(貞観元年)、行教が宇佐神宮に参り、90日間にわたり神前に祗候し、昼は大乗教、夜は真言密教を誦したところ、
「われは都の近くに移座して国家を鎮護したい」
という八幡大菩薩の託宣があったそうです。
これを受けて石清水男山に創建されたのが石清水八幡宮だと伝えられています。
源氏は、この石清水八幡宮を氏神として信仰します。
★鎌倉の由比郷への勧請
石清水八幡宮を深く信仰していた源頼義は、1063年(康平6年)、前九年を平定した後、鎌倉の由比郷に石清水八幡宮を勧請し、社殿を創建しました(由比若宮)。
1081年(永保元年)には、義家が修理を加えたと伝えられています。
これが、鶴岡八幡宮の始まりです。
そして、1180年(治承4年)、鎌倉に入った源頼朝によって小林郷北山に遷座されました。