円覚寺舎利殿の仏舎利と源実朝の伝説 | kurouの歴史メモ

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円覚寺舎利殿は、鎌倉で唯一の国宝建築物。

仏舎利が納められていることから舎利殿と呼ばれます。

そして、その仏舎利は源実朝が宋の能仁寺より請来したものだと伝えられています。

『吾妻鏡』によると・・・

1216年(建保4年)6月、東大寺再建に貢献した宋の陳和卿が鎌倉を訪れ、源実朝に対面します。

陳和卿は「将軍はその昔、宋の医王山の長老であり、私はその弟子でありました」と述べたそうです。

実朝は以前夢に現れた高僧が同じ事を言っていたのでそれを信じたのだといいます。

1216年(建保4年)11月24日、実朝は急に渡宋を思い立ち、陳和卿に命じて唐船を建造させることにします。

船は海岸で造られました。

そして、1217年(建保5年)4月17日に完成します。

しかし、何故か海に浮かぶことができず実朝の夢は絶たれました。

伝説によると・・・

自らが渡宋することが不可能となった実朝。

鶴岡八幡宮の共僧・良真らに金銀財宝を持たせて宋へ送ります。

能仁寺を代参した一行は「返礼に所望するものはあるか」と尋ねられ、舎利を求めたのだといいます。

はじめは断れたようですが、何とか舎利を手に入れて帰国します。

しかし、鎌倉への途中で京都に立ち寄った一行は、朝廷から舎利を欲しがられ、約半年も足止めされてしまいます。

これを聞いて怒った実朝は、大軍を率いて上洛することを考えたようですが、安達盛長に諌められたのだとか・・・

舎利は、実朝に代わって上洛した盛長が朝廷から取り返したのだそうです。



良真像
(江の島・聖天島)


江島神社の辺津宮を創建したのは良真です。




辺津宮にある「宋国伝来の古碑」。

伝説によると・・・

宋に渡った良真は、慶仁禅師に会い、江の島の地図を見せようとしたところ、禅師は、

「東の名刹であることは聞かなくても知っています」

といって碑石をくださったのだとか。

この石碑が贈られたのが1204年(元久元年)だということですので、舎利の伝説とは時代があいませんが、実朝が良真を宋へ派遣したのは確かなのでしょうか・・・。