鎌倉:壽福寺創建の物語 | kurouの歴史メモ

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『吾妻鏡』によれば・・・

1200年(正治2年)閏2月13日、北条政子は、「亀谷の土地」を栄西に寄付します。

そして、三善善信(康信)と二階堂行光の奉行によって、壽福寺建立の「造作始め」が行われました。


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「亀谷の土地」とは、源頼朝の父義朝の邸宅があった場所です。

1180年(治承4年)、鎌倉に入った頼朝は、この地に御所を建てることを考えますが、土地が狭く、岡崎義実が義朝の供養のために建てた祠があったことから取り止めたと伝えられています。

※岡崎義実は、壽福寺が建立された年の6月21日に亡くなります。


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☆十六羅漢像の開眼供養

政子は、佐々木定綱に託して京都で「十六羅漢像」を描かせています。

1200年(正治2年)7月6日、その「十六羅漢像」が鎌倉に届き、7月15日、壽福寺で「十六羅漢像」の開眼供養が行われました。

導師は栄西、政子も参列しています。


☆源義朝の沼浜亭を移築

1202年(建仁2年)2月29日、二階堂行光の奉行によって、義朝の沼浜の旧宅(沼浜亭)が鎌倉に移され、壽福寺に寄附されました。

頼朝は、「沼浜亭」の壊れたところを修復し、しばらくは壊さぬよう決めていましたが、政子の夢の中に義朝が現れ・・・

「沼浜亭を壊して寺の中に建ててほしい」

と告げたのだといいます。


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義朝「沼浜亭」は、逗子市沼間の法勝寺辺りにあったと考えられています。

沼間の鎮守五霊神社は、義朝の創建と伝えられ、光照寺は、義平(義朝の長子)の菩提寺といわれています。


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『吾妻鏡』には、

政子が「亀谷の土地を栄西に寄附」し、「十六羅漢像の開眼供養」を行い、「義朝の沼浜亭を壽福寺に寄附した」と記されていることから、政子の開基とされているようですが・・・

『壽福寺由緒書』には、「開基は頼朝公草創の本願にて頼家公創建」と記されているようです。


また、寿福寺に残されている源実朝の位牌には、「当寺大檀那」の文字があるのだとか・・・。



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