日蓮の龍ノ口法難と四条金吾~鎌倉:収玄寺~四条金吾邸址の碑(収玄寺)四条金吾、本名は四条頼基。名越流の北条光時(江間光時)に仕えたという武将で、熱心な日蓮信者でした。左衛門尉だったので、唐名で「金吾」と呼ばれていたそうです。1271年(文永8年)9月12日、日蓮が捕えられ龍ノ口刑場へと連れていかれると、金吾は切腹覚悟で刑場へと向かったのだといいます。長谷の収玄寺は金吾の屋敷跡に建てられた寺。四条金吾邸址の石碑は東郷平八郎の揮毫。収玄寺☆ ☆ ☆ ☆ ☆2020年は中止2020年は中止