2025年12月25日 毎日聖書
王の足跡を辿ろう
ロマ1-16章
私の人生に王が来た。大いなるいつくしみをもって。その方は主イエスキリスト

私はその方に関心も持たず、自分の夢に生きていたのに、その方は十字架でいのちを捨てて「あなたの罪は赦された」と言う

造り主であり、さばき主であるのに、私を断罪せず、押しつけることもなく、黙って死なれ、よみがえりのいのちを持って、私を訪ねてくださった。罪が何かを知らない私に、先に赦しを与え、私の目を開かせた。ああ、私は赦しが必要な者だった
「神のいつくしみ深さがあなたを悔い改めに導く(ロマ2:4)」。
王の到来は、恵みの到来
「だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。(ロマ8:34)」さばく権威を持つ神ご自身が味方になってくれるゆえに、恐れは、立つ場所を失うしかない。
ああ、私の努力で生きるときは終わった。律法は終わった
律法に馴染みのない日本人の私にとって、私自身の良識が律法だった。「律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じることを行う場合は、律法を持たなくても、彼ら自身が自分に対する律法なのです。(ロマ2:14)」
つまり、どの時代のどの国の人も皆、律法の下にいる
。そして「律法を通して生じるのは罪の意識(ロマ3:21)」。これが人を苦しめる
「律法の命じる行いが自分の心に記されて(ロマ2:15)」いて、「心の思いは互いに責め合ったり、また弁明し合ったりさえする(ロマ2:15)」からだ。
では、その律法、あるいは良識はどこを目指しているのだろう?どこに向かって人は生きているのだろう?答えはただ一つ。「律法が目指すものはキリストです。(ロマ10:4)」
なぜ?それはキリストが律法の終わりであり、信じる者すべてに義をくださる方だから
。キリストだけが律法の成就者なのだ。ああ、だからもう、自分で正しくなろうとする道は終わった。この終わりこそが、いのちの始まり。もう、ここからは恵みだけで生きていく。
恐れは十字架と復活で沈黙し(8:34)、いのちは律法の終わりからあふれ出る(10:4)。これは、人間だけでは絶対に通れない道。「福音は神の力(1:16)」。
私たちは恵みの土台の上に立つ。それは王の足跡の上。ロマ書は、何度も私たちに叫ぶ。「もう大丈夫だ!安心しなさい!!!」救い主、王である方がここにおられる
だから、メリーメリークリスマス
ハレルヤ

私はイエス様のもの
イエス様は私のもの
今日も王と生きよう
Reading the Bible is not about checking a box - it’s about building a relationship with Jesus!
