2026年2月6日 毎日聖書
王の足跡を辿ろう
テトス1-4章
テトスは、生活の中心はイエス様!って話
恵みで救われた者が重ねる生活は、もはや自力の生き方ではない
自分の弱さ、無力さ、罪深さを日々、告白しながら、主イエスキリストの義に満たされ生きる道
私たちが何かを造り出すのではなく、すでに完成された神の教え、すなわち福音が私たちの内側から現れ出ることを喜ぶのだ
。それが「私たちの救い主である神の教えを飾る(テトス2:10)」ということ。弱さ、愚かさ、汚なさから、輝く美しさが現れるなら、私たちが賞賛されるのでなく、ただイエス様の栄光が現れるのを見る。信じる者の生活はそんな日々の重なり
生活そのものが神の作品となる。
それなのに、自分で考えて計画して整えて、あれやこれや自力の実績を出そうとするなら、イエス様はこう言われる
「わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』(マタイ7:23)」罪ある人間によるわざは不法となってしまう。
でも、それがゆえに、主ご自身が死なれた
そんな生き方しか知らなかった私に主が教えてくださった。私たちを不法な者にしないために、イエス様が十字架につかれた
「キリストは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめるため、私たちのためにご自分を献げられたのです。(テトス2:14)」
ああ、このことを軽んじてはいけない。この重大さを知ってつかんで堂々として生きるなら、人の評価がどうあれ、キリストの権威のもとで小さく扱われる必要はない
主は言われる。「誰にも軽んじられてはいけません。(テトス2:15)」
神は、私たち人間に、特別な啓示を与えてくださった。啓示とは、隠されたものが開かれること
神が隠すなら、人は絶対に見つけられない。人の知性には限界がある。神が人に特別に開いた啓示。それが聖書だ。その世界はなんと深遠だろう

今年に入って毎週水曜にメッセージをしたため、マタイ9章に集中していた。でも、牧師先生のご不在やら集会やらで、2週間お休み〜。それで、いただいた時間で自由に聖書を読む。楽しい〜。母を歯医者に連れて行く合い間にカフェで読むテトス
心震える。
主よ、こんな聖書の無限の世界を1人で行くことはできません。一歩一歩教えてください。願う者みなに導きを与えてください。驚かせ感動させ、ただただイエス様を見上げて感嘆させてください。私たちはそれを喜びます。ハレルヤ

私はイエス様のもの
イエス様は私のもの
今日も王と生きよう
Reading the Bible is not about checking a box; it’s about walking in the footsteps of the King.
