2025年2月18日 聖書通読49日目
みことばで神様と交わろう
ルカ5章
主はいつも私たちを、霊的な深みへといざなわれる。昨日の朝、このみことばにはっとした
。イエス様は言われた。「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。(ルカの福音書 5:4)」
このみことばが光となって、私のここ数日のことを照らし整理してくれた
。主がすべてを見て、導いていてくださったことを知ったとき、私は衝撃をもって、主を仰いだ
。
始まりは日曜の朝
。なんだか全く新しいことが始まる、そんな予感がしていた。その日の朝、夢を見た。
教会の人たちとカフェの大きなテーブルで分かち合いをしている
。そこへ旗本と書いて「はなもと」と読む、知らないおじさんが来て、ものすごく怒って、書類を破ったりする
。特に私は目の前に聖書やいろんな書類を広げていた。驚いたけれど、私は余裕な心でおじさんに近づいた。「ごめんなさい。本当にそうですよね。気づかなくてごめんなさい。私はあんまり聖書が好きで夢中になってしまったんです。はなもとさんは自分の生き方をどう思われますか?死んだ後、天国に行けると思いますか?」などと尋ねていく
。すると、はなもとさんはたじたじになって、真剣に話を聞いてくれるようになった。はなもとさんに注ぎ込むように大きな声でイエス様のことを伝えているところで目が覚めた
。
その日の礼拝では「イエス様の恵みによって、私たちがすべての人を赦す者に変えられていく」ことが語られた。「自分に赦す力がないことを知って、自分ではなくイエス様が赦せるようにしてくださることを体験する」と。そうしたら、主は私に本当にそのことを体験させてくださった
。
その後、普段はあまりないことが立て続けに起こった。喉が渇いていたから、カフェでお水を飲んでから注文しようとしたら、店員さんが「先に注文してください」と怒ったようにメニューを突きつける
。疲れているときだったから、私は悲しい気持ちになった。デパートでお菓子を買うと、注文をした私を長いこと待たせて、女性店員さんが目の前で別の作業(空になった段ボールの処理)をしている
。丁寧なサービスをしてくれるような人たちが、何かぞんざいで、驚いてしまうほどの対応なのだ
。嫌な気持ちになったけど、そんなことが続けて起こるから、あー、これは敢えて与えられてることなんだなと思った
。それで、寝る前に「自分では嫌な思いになるけれど、私の中でイエス様は赦すことができますから、今日の一人一人を赦します、祝福します
」と祈って寝た。
すると、翌朝、また夢を見た。
たくさんの人がいる会議室のようなところ。牧師先生たちが話す前座みたいな感じで私がマイクでしゃべっている
。私は聴衆に質問を投げかけた。「インドには砂漠がありますね。その向こうには何がありますか?行けば行くほど何がありますか?」一人の中年男性が言った。「信じる心!」 私は言う。「わー、とても信仰的な答えですね。他にありますか?」中年女性が言う。「お世話になった人たち!」 私は反応する。「なるほどー。いいですね。なんだか感動して涙が出ます。」
もう次のメッセージに入らないといけなくて、牧師先生たちが準備している。でも、私はその間もしゃべっている
。気がつくと聴衆が入れ替わっていて、制服を着た若者たちでいっぱいだった。その場所も東京ドームみたいな大きなところに変わっている。すると、高校を出たばかりのような男の子が分かる分かると言う明るい表情でこう言った。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい!(ヨハネ7:37)」私は感激してその子と深く握手する。そしてマイクで声を張り上げて言った。「皆さーん!聞きましたか?」と言って、そのみことばを聴衆に分かち合う。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい
(ヨハネ7:37)」もう終えないといけないので、私は大声で祈った。「愛するイエス様ー!若い人も年をとっている人も、さまざまに個性が違う人もみんなイエス様を〜」と祈り叫んでいるところで目が覚めた
起きてから、「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。(ルカの福音書 5:4)」というみことばの中に入っていったとき、主が私の体験したことを一つ一つ解き明かしてくださった
。最初の夢と、礼拝のみことば、私の実際の体験、そして次の夢。すべてがつながって、ものすごく驚いた
。
自分が主の前でできないことを告白して、イエス様が私に代わって人を赦すことを体験するごとに、主ご自身が私を用いて福音を語ってくださるのだ

砂漠は誰もが経験する、試練や渇き、孤独だ。そのとき、人は自分を信じようとしたり、あるいは誰かの助けを求めたりする。中年男性と中年女性の答えはそうだった。そういう時期があってもいい
。
しかし、次にばっと変わった場面で見た人たちは制服を着た訓練された人たち
。みことばによって、砂漠の向こうで待っている方を知る人たち。待っている方はすなわちイエス様
。イエス様が言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい!(ヨハネ7:37)」
この世界には、渇いている人がたくさんいる。一昨日のカフェの男の人も、デパートの女性店員さんも、イエス様を知らず、とても渇いている人なのだ。私は嫌な思いになったけど、イエス様は礼拝のメッセージを通して私にイエス様の赦しの心をくださった
。私はイラッとしてすぐに使えなかったけど、夜になって寝る前に全部赦しますって祈ることができた。それで見た夢は、イエス様の恵みを心行くまで語る夢だった
。詩篇94:17
ああ、イエス様が私に言われた「深みに漕ぎ出す」とは、深いイエス様の中に入っていくことだった
。そこは無限の赦しの世界。終わりのない愛の世界。私たちにないものが備えられている場所。信じる者は皆、そこに招かれている。そこで主にすべてが与えられる。だから嫌なこと、戸惑うことがあったなら、それは祝福。主がすべてを益にしてくださる。
私は新しく造られた者
神が喜び楽しむ者
私はイエス様の中に
イエス様は私の中に
今日もみことばで交わろう
Reading the Bible is not about checking a box - it’s about building a relationship with Jesus!
