2024年7月1-3日  聖書通読183-185日目
みことばで神様と交わろうニコニコ  
 
ヨハネ14-16、Ⅱ歴代誌1-6、詩篇78-79篇
 
人は老いる。ほとんどの人がそれを悲しむ。しかし、主イエスにある者は、それを喜ぶことさえできるびっくり

体に不調が来たとき、私たちの心をくじくよう誘惑するのは死の力を持つ者、すなわち、悪魔(ヘブル2:14 )」。怖がらせ、恐れさせ、この先どうなっちゃうんだろうと思わせる。しかし、そのような悪魔を「ご自分の死によって滅ぼし(ヘブル2:14 )」完全に勝利された方がいる。その方がイエス様炎

今、信じる者のうちには、全世界、全存在の上に君臨するイエス様が住まわれるまじかるクラウン乙女のトキメキ。死ぬほど愛してくださった方、いや、死ぬほどじゃなく、文字通り死ぬことにより愛を示してくださった十字架キラキラ(Ⅰヨハネ3:16)方が、信じる者を今、熱く熱く熱く愛されているハートその方が、とこしえまで導いてくださる。私たちの心にそれが感じられないときもある真顔。寂しくなってしまうときもある悲しい。しかし、私たちがどうであっても、イエス様は決して変わらない。ああ、イエス様、天にも地にも、あなたのような神はほかにありません。あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と恵みを守られる方です。(Ⅱ歴代誌 6:14)」

ですから、「どのようなわざわい、どのような病気であっても(Ⅱ歴代誌6:28)」信じる者が「それぞれ自分の疫病や痛みを思い知らされて、この宮に向かって両手を伸べ広げて祈るなら、どのような祈り、どのような願いであっても(Ⅱ歴代誌6:29)」あなたご自身が、御座が据えられた場所である天から聞いて、赦し、一人ひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心をご存じです。あなただけが、すべての人の子の心をご存じだからです。(Ⅱ歴代誌6:30)」私の生き方で示せるものは何もないけれど、私とともにおられるイエス様の生き方がすべての道を開いていく雷私の「行いによるのではありません(エペソ2:9)」手ああ、恵みの福音。

今日思った。体が弱って、いつか行動範囲が狭められたとしても、クリスチャンは霊において、どこまでも深く広げられることが可能だ。「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。(ヨハネ3:30)」が自然のこととなり、「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられる(ガラテヤ2:20)」ことをもっと豊かに体験していけるのかもしれない炎。そう思うと、体が強められたり癒されたりすることも恵み。弱まることもまた恵みなのだ。もっとイエス様に頼るようになり、もっとイエス様と親密になるのなら、それは永遠の祝福ハート。そうして、イエス様を知れば知るほど、イエス様にまみえる日を心待ちにする。一日一日生きて、その日が日に日に近づくことを喜べるのだ。世を去る瞬間まで、期待と希望、喜びと興奮がある。

ああ、クリスチャンの生き方は世とは違う。いや、たとえ世のようなときがあっても気にしない。私の主人はイエス様。イエス様が全権をもって最善に導いてくださるまじかるクラウン乙女のトキメキ。イエス様が信じる者の心に喜びを広げ、その心に力をみなぎらせてくださる。ハレルヤ爆笑!!

私は新しく造られた者
神が喜び楽しむ者
私はイエス様の中に
イエス様は私の中に
今日もみことばで交わろうハート

Reading the Bible is not about checking a box - it’s about building a relationship with Jesus!