2024年5月5日 聖書通読126日目
みことばで神様と交わろう
マルコ1、Ⅰサムエル15-16章
昨日、教会に向かう道の途中、横断歩道を渡り切ったところに嘔吐物が広がっていた。とっさにそこをよけたけれど、すぐに思った。あれを手で片付けられるだろうかいや、ムリムリ。そう思った私の心にすぐ飛び込んできたのはイエス様の姿。あ!私は気づいた。イエス様は素手で触わられていた。何に嘔吐物に誰の私の。。。
「犬が自分の吐いた物に戻って来るように、愚かな者は自分の愚かさを繰り返す。(箴言26:11)」
イエス様の偉大さをそのごとくに悟れず、愚かな私は自分の愚かさを繰り返す。万軍の主イエス様がおられれば、何の心配も必要ないのに、見えるところに心騒がせたり、不信仰を表したり、吐いた物に戻って、再び汚れる。自分から出たもので繰り返し汚れては助けを求める私を、「イエスは深くあわれみ、手を伸ばして(マルコ1:41)」私にさわり、こう言われる。「わたしの心だ。きよくなれ(マルコ1:41)」イエス様は、何度も何度も何度もそうされる。イエス様は信じる者を絶対に見捨てない。とこしえまで導いてくださる。
「あの日の星空カードを差し上げます」と言われたのは、一昨日のこと。娘と行った図書館で、天体イベントが行われていた。一つだけ特別な日にちを言えば、その日の星空をカードにして無料でプレゼントしてくれるということだった。
誕生日や結婚記念日など、大事な日「あの日」はいろいろある。でもやっぱり最大の「あの日」はイエス様が最初に訪ねてくださった日。それは10年前の5月。クリスチャンの方を通して、聖書がどれほどすごいかを教えてもらった日のこと。
イベントのスタッフの方はゲーム機のようなものを操作して、どんどん時を遡る。上を見上げると、そこには10年前の「あの日」の夜空があった。イエス様が訪ねてくださったときの夜空をひとしきり説明をしてくれた後、印刷してくれたのがこれ。
ああ、イエス様が私を図書館へ連れて行き、かけがえのない一日をカードにしてくださった。私はこれを見るたび、救いの感激を思い出す。イエス様がいなければ、自分の罪に気づかず、赦されることもなく、 「自分の罪の中で死ぬ(ヨハネ8:24)」しかない。しかし、イエス様がいるなら、価値なき者は価値ある者に変えられれ、その人生も価値ある人生に変えられる。イエスがいるなら、この世を生きながら、すでに神の国に生きることができる。洗濯をすることも掃除をすることも食事をすることも仕事をすることも遊ぶことも、そこに造り主イエスがおられれば、一つ一つが意味あることに変わっていく。イエスと生きる人生は、生きるに値する人生。
今ここで神の国をenjoyするため(=もっと主イエスを知るため)、今日も神のことばに聞く。今日も聖書を開き、驚きと感激に満たされよう。イエスとともに生きる1日は特別な1日。信じる者はすべてそう。雨の日晴れの日とこしえまでも。ハレルヤ
私は新しく造られた者
神が喜び楽しむ者
私はイエス様の中に
イエス様は私の中に
今日もみことばで交わろう
Reading the Bible is not about checking a box - it’s about building a relationship with Jesus!