2024年4月11-12日  聖書通読102-103日目
みことばで神様と交わろうニコニコ  

Ⅰコリント6-7、ヨシュア15-18、詩編44篇
 
朝の通勤のとき、私のすぐ後ろの2台の車で大げんかが始まった車車ピリピリ。お互い譲らずぶつかったのか、スレスレだったか。ドライバーは窓でなくドアを開けて、ものすごい剣幕で怒鳴り立てているムキー。人が我も忘れて激昂するのを久しぶりに見た。

あまりの激しさに「巻き込まれないでよかった〜」と思う私ちょっと不満。しかし、「怒りまくるこのドライバー「のようでないことを感謝します(ルカ18:11)」と祈りそうになった私に、主が思い出させてくださったのは取税人の祈り雷。「取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。「神様、罪人の私をあわれんでください。(ルカ18:14)」

取税人のようでないことを感謝します(ルカ18:11)」と祈ったのは、パリサイ人。しかし、義と認められたのは罪を認めた取税人の方だったキョロキョロああ、主が教えてくださるのは取税人の祈り。激昂ドライバーに、隠れた私の罪を見る炎

ああ、主よ、私はイエス様の前に、あのドライバーです。イエス様が私の罪のために何の権利も主張なさらず、ご自身を「死に渡された(ロマ8:32)」のに、私の心はいつも自分の権利を主張しますチュー何か問題があれば、苛立ったり、「何でこうなのか」と文句を言ったりしますくちびるアセアセ。すべてをイエス様が采配なさっているのに、イエス様がすべてを越える知恵も力もくださるのに、イエス様を信じると言いながら、信頼していない隠れた罪を告白します。ああ、「神様、罪人の私をあわれんでください(ルカ18:14)」私を変えてくださいあなたのものに変えてくださいえーん

世では自分の権利を主張する地球。それは賢いことだ。しかし、神の国では違う手主が主権者だ。与えるのも取り去られるのも主。「先祖が自分の剣によって領土を取ったのでも 自分の腕の力によって勝利を得たのでもなく あなたの右の御手、あなたの御腕 あなたの御顔の光によるものでした。 これがあなたのお望みでした。(詩編‬ ‭44‬:‭4‬ 新共同訳‬)」

主は言われる。「世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべき(コリント‭7‬:‭31‬ 新共同訳‬)」だと。なぜなら、「この世の有様は過ぎ去るからバイバイ(コリント‭7‬:‭31‬ 新共同訳‬)」びっくりマーク

ああ、主よ、今まで持っていた自分の知恵でなく、あなたがくださった知恵によって生きることができますように手。世に生きるのでなく、主の国に生きさせてください。私のうちで、イエス様が「さかんになり、私は衰え(ヨハネ3:30)」いきますようにおすましスワン乙女のトキメキ。自分で自分を変えることはできないけれど、主には私を変えることがおできになる。主が語られることに、今日も「アーメン」と言って従っていこうハート

信じる者は「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられる(ガラテヤ2:20)」世界を体験していく。願うなら、その願いは必ず聞かれるキラキラ。主が聖書にその約束を刻んでくださったから。ハレルヤ爆笑!!

私は新しく造られた者
神が喜び楽しむ者
私はイエス様の中に
イエス様は私の中に
今日もみことばで交わろうハート

Reading the Bible is not about checking a box - it’s about building a relationship with Jesus!