2024年3月27-31日 聖書通読87-91日目
みことばで神様と交わろう
マタイ19-23、申命記19-28、詩篇37-39篇
誰かを助けようと、人のために死んだ人はいる。しかし、人のためによみがえった人は、たった一人しか存在しない。その方こそ主イエスキリスト。誰にもできない、考えることさえできないことをなさった方、その方が主イエスキリスト。
唯一なケースであるゆえに、あまりにレア過ぎて、人には全くフィットしない。常識人からすれば、愚かにさえ聞こえること。しかし、これが「隠された神の知恵(Ⅰコリント2:7)」。「神の愚かさは人よりも賢(Ⅰコリント1:25)」いのだ。知恵において、神と対抗できる人は一人もいない。主は言われる。「わたしはよみがえりです。いのちです。(ヨハネ11:25)」
主は何のために死に、何のためによみがえられたかそれは私たちのためだという。
人はいつか死ぬ。必ず死ぬ。100%死ぬ。「土のちりだから土のちりにかえる(創世記3:19)」。神が「人の心に永遠を与えられた(伝道3:11)」ゆえ、このまま生きて、死んでも、別の世界に行くだけで、自分はずっと変わらないような気がする。そんなぼんやりとした人の願いを盛り込んで、世のさまざまな価値観、宗教は、多くの人の心を集めている。しかし、昔からある伝承や、誰かが「解明した!」という考えは、何の保証にもならない。その証書は紙くず同然だ。
しかし、人のために死に、よみがえられた神、イエスキリストは言われる。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。(ヨハネ11:25)」
主の十字架は目をそむけたくなるほど恐ろしい。しかし、そこは主が私たちのために戦われたところ。壮絶な愛が刻まれた場。「神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物と(Ⅰヨハネ4:10)」なられたところ。すべての罪が主イエスキリストにおいて徹底的にさばかれた場所。同時にそこはすべての人のすべての罪が完全に赦される完璧な根拠が与えられる場所。人も天使も悪魔も、すべての存在が息を止めて見上げるしかない場所。誰も何も口を挟むことのできない場所。「ここに愛があるのです。(Ⅰヨハネ4:10)」
私はこの愛を信じる。「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。(Ⅰヨハネ3:16)」
人からは決して出てくることのない発想。この「神の知恵により、この世は自分の知恵によって神を知ることがありませんでした。(Ⅰコリント1:21 )」人には愚かに見える方法で、神にしかできない究極の愛を表わし、それを信じる者を救うことに定められたのだ。「それゆえ神は、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされたのです。(Ⅰコリント1:21 )」主は尋ねる。「あなたはこのことを信じますか。(ヨハネ11:26)」
主は死を切り裂いて、よみがえられた。「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。(ロマ4:25)」よみがえられたゆえに、今、ここに生きている。それゆえ、「まことに、私たちの神、主は私たちが呼び求めるとき、いつも近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民がどこにあるだろうか。(申命記4:7)」ハレルヤ
信じる者が手にしているものが、どんなに小さく見えても、よみがえられた主がくださった聖霊ゆえに、信じる一人の持つ力は計り知れない。「主に従う人が持っている物は僅かでも 主に逆らう者、権力ある者の富にまさる。(詩編 37:16) 新共同訳」アーメン。
ああ、信じる者の人生は、生きて働かれる主の大いなるみわざにあふれている。驚きがあり、感動があり、喜びがあり、賛美を止めることができない。厳しいときがあったとしても、それはもっと大きな主との出会いに進んでいくとき。主がそこを共に歩いてくださる。「主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。(申命記31:6)」
ああ、どうか「神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。(エペソ 1:19)」ハレルヤー
私は新しく造られた者
神が喜び楽しむ者
私はイエス様の中に
イエス様は私の中に
今日もみことばで交わろう
Reading the Bible is not about checking a box - it’s about building a relationship with Jesus!