2024年2月26-28日  聖書通読57-59日目
みことばで神様と交わろうニコニコ  
 
ロマ5-7、レビ23-27、詩編25、箴言5章
 
はしごをもって🪜実家の庭に入っていく。心が弾んでいる自分に驚いただって、昔、庭仕事が嫌いだったからてへぺろ。ひたすら面倒で億劫な作業だと思っていた。

しかし、最近の私はどうだろう。この時間が楽しみ〜。空は青く、足元の緑はきらきらしている晴れ。母が毎年結構な額を払って庭師の方にお願いしていたところを、今私がやっている〜。母にすごく感謝されるが、私にとっては遊びの時間爆笑音符

ランチ前に「ちゃちゃっとやっちゃうわ」と言ったはずが、「もうちょっと、もうちょっと」と、1時間になっている虹。始める時は、上のところをチョンと切るだけに見えたのに、実際やってみると、そこに辿り着くまでにその手前を格好良く調整していかなければならない指差し「もうそれくらいでいいわよ」と母に何度も呼ばれてやっと家に入った。

ああ、イエス様と生きるって、本当にすべてが変わってしまうハート。そして、思った。庭木の剪定は、人が変えられていくことに似ている。簡単そうで、時間がかかることなのだ。そしてエキサイティング流れ星

クリスチャンになった初めの頃は、救いの喜びを体験した。しかし、それはそのままではない手。救いの喜びが消えるということではない。いや、それはむしろ深まる。

しかし、クリスチャン生活は、そこにとどまらない。救いの喜びに、自分が変えられていく喜びが加えられていくのだ。それは主イエスキリストを知ることと同時に進んでいくハート。聖書を読み、祈りで求めていくなら、必ず御霊が願いに応え導いてくださる。これは、一日一日、一歩一歩、とても時間がかかる。では、この時間のかかる作業が一気に加速するのはいつかキョロキョロ?

それは、逆説的だけれど、御霊の助けによって、自分のに目が開かされるとき雷

自分の中に、主イエスキリストよりも自分を優先する心、主を信じるより自分を信じる心主を愛するより自分を愛している心主にあらがう心反抗する心間違った自己肯定感プライドうぬぼれ、などなどなど、、、これらを認めることができるようになってから、告白するようになってからくちびる

自分が「罪人であった(ロマ5:8)」こと、自分が神の「敵であった(ロマ5:10)」ことに目が開かれ始めると、主から受け取る恵みは、雪だるま式に大きくなっていった雪だるまキラキラ。私の代わりに罪そのものとなって死なれ、よみがえられた主イエスキリストが、私のうちでどんどん大きくなっていくからだ雷

神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(Ⅱコリント5:21)」罪が赦されるだけでなく、義が加えられるのだびっくりキラキラああ、「罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました。(ロマ5:20)」

ただただ恵みがあふれ流れ注がれていることを知るようになる。ああ、なんという解放。私はただふーっと息をするダッシュそんな私を主が見つめる。「人の道は主の御目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を向けてくださる(箴言5:21)」

私は主に願うおすましスワン乙女のトキメキ主よ あなたの道を私に知らせ あなたの進む道を私に教えてください。(詩篇 25:4)」主は言われる。わたしはあなたがたの間を歩み、あなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となるまじかるクラウン乙女のトキメキ(レビ記 26:12)」

信じる者は主の心を受け取ろうハート。嬉しくなって力を得よう。今日もまた「新しいいのちに歩(ロマ6:4)」もう。簡単そうで時間がかかるエキサイティングなことが、今日また加速していく。ハレルヤ爆笑!!

私は新しく造られた者
神が喜び楽しむ者
私はイエス様の中に
イエス様は私の中に
今日もみことばで交わろうハート

Reading the Bible is not about checking a box - it’s about building a relationship with Jesus!