2024年1月5日 聖書通読5日目
みことばで神様と交わろう
ルカ5、創世記9-10、詩篇3篇
神様が愛するのは、正しい人だと思っていた
。しかし、イエス様は言われた。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである
。(ルカ5:32 新共同訳)」
イエス様に招かれ、御前に出るなら、人はたちまち、その愛の中で自分の罪を知る
。しかし、それは始まりに過ぎなかった
。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです(ルカ5:8)」と言ったペテロも、「何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った(ルカ5:28)」マタイも、主が十字架につけられたとき、結局、全部逃げ出した
。
弟子たちが辿ったのは、想像以上の自分の弱さだった。言うべきでないことを言ってしまったとき、感謝の心でいたいのにできないとき、苛立ちをぬぐえないとき、私も自分の弱さをみる
。律法学者たちやファリサイ派の人々のように「あれこれと考え始め(ルカ5:21 新共同訳)」る
。しかし、それらをもって「自分の肉のうちに善が住んでいないこと(ロマ7:18)」を思い知るとき、初めて「キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法(ロマ8:2)」が輝き出すのだ
。
私たちの惨めさの中で、主のみわざは順調に進んでいく
。信じる者は「御霊によって歩(ガラテヤ5:16)」く者。御霊が明らかにされるのは、私たちがどんなに素晴らしいか、でなく、私たちがどんなにイエスキリストを「信じない(ヨハネ16:9)」のか、だ
。「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。(ヨハネ16:8)」あらゆる事象を通して、御霊は教える
。どんなに私が今ここに生きて私を愛し、私のすべてに責任を持ってくださるイエス様を信じず、現実に心揺らされているか。
しかし、そんな罪を認めるとき、注がれるのは限りない主の慰め
。主のもとに行くとき、主は「豊かに赦してくださ(イザヤ55:7)」り、言われる。「わたし、このわたしが、あなたがたを慰める

。(イザヤ51:12)」
恐怖に震え、逃げ去った弟子たちは、よみがえられたキリスト・イエスに出会い、大きな慰めを受け、「聖霊によるバプテスマを授けられ
(使徒1:5)」完全に変えられていく
。聖霊に満たされ、大胆にキリストを証しする者となっていく。不完全な自分が語るのでなく、主ご自身が語るようになるとき、そのことばは人を救ういのちのことばとなる
。ああ、2024年、主はどう私たちを変えてくださるだろうか
。
とりあえず、今日はもう休もう。「私は身を横たえて眠り また目を覚ます。主が私を支えてくださるから。(詩編 3:6)」ハレルヤ

私は新しく造られた者
神が喜び楽しむ者
私はイエス様の中に
イエス様は私の中に
今日もみことばで交わろう
Reading the Bible is not about checking a box - it’s about building a relationship with Jesus!
