2024年1月1日 聖書通読1日目
みことばで神様と交わろう
ルカ1、創世記1-2、詩篇1篇
力ある方が、私に偉大なことをなさった
。日々、食べて寝て、勉強や仕事や、いろいろなことを頑張って、ときに社会貢献もしながら、笑ったり泣いたりしながら生きていく
、それが人生だと思っていた私を、全く違う世界に連れ出した方。その方が主イエスキリスト
。その方が言われた。「それは死に至る道だ
」と。「人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある。(箴言14:12)」
えー?では、どうしたらいいですか
私は何をすればいいのでしょう? 尋ねる私に、聖書ははっきりと教える。それは、ただ一つ。「神が遣わされた者を信じること(ヨハネ6:29)」。つまり、主イエスキリストを信じること
。
主イエスキリストを信じたら、不思議だ。複雑に絡み合っていたいいろいろな考えや価値観がするする解けた。自分がとてもシンプルな真理の上に立たされていることに気づくようになった
。「人がどこから来て、何をして、どこへ行くのか」という、誰も解くことのできない命題を鮮やかに解かれ、私はただ、そのようにしてくださった主イエスキリストを見上げる者となった
。
この世界の最高権威者である主イエスキリストが、私の救いをかけて父なる神のみこころをなされた。「捨てる権威(ヨハネ10:18)」をもって自分からいのちを捨て
、「もう一度得る権威(ヨハネ10:18)」をもってよみがえり
、父のみもとから「もう一人の助け主(ヨハネ14:16)」聖霊様を送ってくださった
。
聖霊によってイエスキリストを身ごもったマリアのように、信じる者のうちには今、主イエスキリスト
。それで私たちは告白する。「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。 (ルカ1:46-47)新改訳第三版」
主イエスに対し群衆の中で一人の女がマリアをうらやんで叫んだ。「あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は幸いです。(ルカ11:26)」しかし、イエスはそうではないと言われた
。「幸いなのは、むしろ神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」つまり、主イエスキリストを信じ、主イエスキリストがうちに宿る者以上に幸いな者はいないのだ
。
それゆえ、マリアのことばは、信じる者すべてのことば
。主がこの小さな私をも「目を留めてくださった(ルカ1:48)」。ああ、年の初めのこの日、告白しよう。主イエスキリストにあって。「ご覧ください。今から後、どの時代の人々も 私を幸いな者と呼ぶでしょう。(ルカ1:48)」ハレルヤ

YouVersionの聖書アプリをハイライトしながら読んでいく。こんな色に分けてみた
。
私は新しく造られた者
神が喜び楽しむ者
私はイエス様の中に
イエス様は私の中に
今日もみ言葉で交わろう
My soul glorifies the Lord and my spirit rejoices in God my Savior Luke 1:46-47 NIV
