2023年12月14-16日 聖書通読
木曜は 旧約: 預言書
金曜は 新約: 福音書
土曜は 新約: 手紙
今日もみ言葉で祈ろう
イザヤ50-55、使徒21-23:10、ピリピ3-4章
神はどんな暗い境遇からも、一人の人を神の民とすることができる。偶像崇拝の家庭環境の中から主に呼ばれたのは、アブラハムだった。「アブラハムの父でありナホルの父であるテラは昔、ユーフラテス川の向こうに住み、ほかの神々に仕えていた。(ヨシュア24:2)」
主はアブラハムについて言われる。「わたしが彼一人を呼び出し、彼を祝福し、彼を増やしたのだ。(イザヤ51:2)」
「信仰に入った異邦人(使徒21:25)」である私にも主は言われる。「わたしがこの者を呼び出し、祝福し、増やしたのだ」と。
イエス様を知らない人生から、イエス様を知る人生へ。イエス様を知る者とは、すなわち「義を知る者たち(イザヤ51:7)」、また「心に(神)のおしえを持つ民(イザヤ51:7)」。義は主イエスキリスト。おしえとはキリストについての教え。主は言われる。「義を知る者たちよ、わたしに聞け。(イザヤ51:7)」
主に聞くと、主は言われる。あなたは証人となるのだと。「死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエス(ロマ8:34)」について「すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人となる(使徒22:15)」のだ。
ああ、そんなことがどうやってできるだろう。しかし、主に聞くとき、主は必ず教えてくださる。主イエスキリストのすばらしさを教え、体験させてくださるのだ。だから、主が見せるもの、聞かせるものに、心を留めよう。主が見聞きさせるものは「すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値すること(ピリピ4:8)」の中にある。その中で、主を見聞きするうちに「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさ(ピリピ3:8)」に、黙ってはいられなくなる。自分が直接、見聞きしたイエスキリストを語らずにはいられなくなる。
主は私たちに継続して主の恵みを注ぎ、私たちの口に、主のみことばを置いてくださる。主が言われる。「わたしのことばをあなたの口に置き、この手の陰にあなたをかばい、天を置き、地の基を定め、『あなたはわたしの民だ』とシオンに言う。(イザヤ51:16)」私たちは主を知らない人たちに、主の心を伝える者になるのだ。それは「あなたはわたし(神)の民だ(イザヤ51:16)」ということ。「あなたはイエスキリストにあって神の民だよ」と言うこと。
小さな歩みに見えても、そこには主がおられる。「主は近いのです。(ピリピ4:5)」自分で何かを成し遂げようとしなくていい。主に従っていけば、主が最高のことをさせてくださる。「到達したところを基準にして進(ピリピ3:16)」めばいい。「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただ(ピリピ4:6)」けばいい。主が願いをくださるから。力が出ないときも、焦るときも、途方にくれるときも、「主は近い(ピリピ4:5)」。主が私たちの「心と思いをキリスト・イエスにあって守(ピリピ4:7)」り、すべての道を開き導いてくださる。
今日は主日。そんな素晴らしい主を礼拝する日。主との最高のまじわりの日。あらゆる場所で礼拝がささげられる。主イエスキリストの証人たちがあらゆる場所で恵みに満たされますように。ハレルヤ
私は新しく造られた者
神が喜び楽しむ者
今日もみ言葉で祈ろう
主の中で自由に歩もう
私の中で自由な主の働きを!
⑥ “I have revealed you to those whom you gave me out of the world. They were yours; you gave them to me and they have obeyed your word.