2023年12月3日 聖書通読
日曜は 旧約: モーセ五書
今日もみ言葉で祈ろう
創世記37-39章
人は、自分より下に見ている人から生意気なことを言われると、腹を立てる。私も、いらっとしちゃうかなぁ〜。まぁ、そもそも「下に見ている」ってところから、問題が始まっているのだけど。。。
ヤコブの息子たちは、年下の弟にこんなことを言われた。「私が見たこの夢について聞いてください。見ると、私たちは畑で束を作っていました。すると突然、私の束が起き上がり、まっすぐに立ちました。そしてなんと、兄さんたちの束が周りに来て、私の束を伏し拝んだのです。(創世記37:6-7)」
兄たち、怒った怒った。「おまえが私たちを治める王になるというのか。私たちを支配するというのか。」彼らは、夢や彼のことばのことで、ますます彼を憎むようになった。(創世記37:8)」
ヨセフはまた言う。「また夢を見ました。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいました(創世記37:9)」。
兄たちの怒りは爆発して、ついにはエジプトへ下る隊商にヨセフを奴隷として売り渡してしまった(創世記37:28)。
イエス様が来られたとき、社会で一番上にいたのは大祭司や律法学者たちだった。彼らにとっては、無名の大工の息子イエスは完全に自分より下だ。神様のことを教えてあげないといけない存在だ。それなのに、自分が神のように「あなたの罪は赦された(マタイ9:7)」と言う。大祭司たちにとって、我慢ならないことだった。イエス様が神ご自身であることを知らず、「この人は神を冒瀆している(マタイ9:3)」と言って、激しく憎んだ。憎しみは日に日に膨れ上がり、「嘲り、むちで打ち(マタイ20:19)」ついには十字架刑にまで追いやり、神である方を殺してしまう。しかし、全知全能である主イエスは、そのすべてをあらかじめ知って「しかし、人の子は三日目によみがえります。(マタイ20:19)」と言われていた。
ああ、計り知れない神の知恵。人の宗教的行いの極まったところに、人の罪と愚かさがあふれる。しかし、その上に神の恵みは注がれていた。「罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました。(ロマ5:20)」かくして、救いの道が開かれる。
神が、人には決してできない愛を示された。「それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。(ピリピ2:10-11)」
ああ、今日もそのような愛に生きる。その力が信じる者たちを動かす。不思議な助言者の力あるみわざを今日も体験する。ハレルヤ
私は新しく造られた者
神が喜び楽しむ者
今日もみ言葉で祈ろう
主の中で自由に歩もう
私の中で自由な主の働きを!
㉕“Righteous Father, though the world does not know you, I know you, and they know that you have sent me.