2023年7月6-8日 聖書通読
木曜は 旧約: 預言書
金曜は 新約: 福音書
土曜は 新約: 手紙
今日もみ言葉で祈ろう
エレミヤ50-52、マタイ20:17-22:14、ピレモン1章
聖書のことが知りたいと言われ、2年ほど、分かち合いをしている人にみことばを語りながら思った。あー、矢を放っているようだ。しかも、それは心地よく、分かち合う時間を楽しいものとする。たとえ、相手がその時、理解できてもできなくても、信じることができてもできなくても、それは「主の勝利の矢(Ⅱ列王13:17)」。
私たちが主イエスキリストを語る時、それはもうすでに勝利が決まった矢を放っている。目の前の大事な人にだけでなはない。「死の力を持つ者、すなわち、悪魔(ヘブル2:14)」が支配するこの世に対して鋭い矢を打ち込んでいるのだ。
主イエスキリストが来られたのは、悪魔に囚えられているこの世界のすべての人々を解放するため。主イエスキリストが私たちと同じように「血と肉を持って(ヘブル2:14)」来られたのは、「死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。(ヘブル2:14-15)」
それゆえ、主は言われる。「すべて弓を引く者よ。(エレミヤ50:14)」「これを射よ。矢を惜しむな。(エレミヤ50:14)」
私たちの手が弱くても、主に願う者を主は変える。主はその腕を鍛えられる。「戦いのために私の手を鍛え、私の腕を青銅の弓をも引けるようにされる。(詩篇 18:34)」
語ることばが拙くても、主に願う者を主は変える。キリストを語る、そのことばは相手の心の奥深くに深く入っていくようになる。「そのことばの心地よさは理解を増し加える。(箴言16:21 )」それは主イエスキリストについての理解。
ああ、主がすべてをなさる。主のみわざを見る目を開くのは主のことば。「その名を万軍の主という王のことば(エレミヤ51:57)」。だから、今日も聖書を読む。ハレルヤ
私は新しく造られた者
神が喜び楽しむ者
今日もみ言葉で祈ろう
主の中で自由に歩もう
私の中で自由な主の働きを!
John 17:1 After Jesus said this, he looked toward heaven and prayed: “Father, the hour has come. Glorify your Son, that your Son may glorify you.