2023年6月11-14日 聖書通読
日曜は 旧約: モーセ五書
月曜は 旧約: 歴史書
火曜は 旧約: 詩篇
水曜は 旧約: 詩歌
今日もみ言葉で祈ろう
申命記23-26:15、Ⅰサムエル16-20、詩篇38-39、箴言3-5:6章
主が私に言われた。「野に出ましょう。」(Ⅰサムエル20:11)」それで、私はついていく。神保町近くのビルの谷間のカフェだけど、私の心は、人混みを抜けて、野に出ていく。そこは主と私しかいないところ。そこで私は土曜の午後を主と過ごす。
ヨナタンはダビデに言った。「野に出ましょう。」(Ⅰサムエル20:11)」父サウルのダビデへの殺意にも関わらず、野にダビデを連れ出したヨナタンは、ダビデと永遠の契約を結んで言った。「私とあなたが交わしたことばについては、主が私とあなたの間の永遠の証人です。(Ⅰサムエル20:23)」
私も今、主とともに野にいて、主の私たちへの永遠の契約について、ことばをかわし合う。
しかし、と主は言われた。「野に行こう」と言われても、簡単について行ってはいけない。カインも弟アベルに言った。「野に行こうではないか。」野に出た「カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。 (創世記4:8)」
門である主イエスキリストを通らず「ほかのところを乗り越えて来る者は、盗人であり強盗(ヨハネ10:1)」だ。盗人はただ「盗んだり、殺したり、滅ぼしたりする(ヨハネ10:10)」のみだ。「私のいのちを求める者は 罠を仕掛け 私のわざわいを願い求める者は 私の破滅を告げ 絶えず 欺くことを語っています。(詩篇38:12)」
だから、私たちは、ただ、主イエスの中にとどまろう。永遠の契約を固く握って、あらゆる危険や罠から守られよう。「主があなたの頼みであり、足が罠にかからないように、守ってくださるから。(箴言3:26)」
主はそのいのちを投げ捨てて、私を敵の陣営から救い出してくださった。生来の罪ゆえに、私はのろわれる者であったのに、そのすべてを身に受けて、私ではなく、主がのろわれた者となってくださった。「木にかけられた者はのろわれた者(申命記21:23)」。
聖書は私に教える。「主はあなたのために呪いを祝福に変えられた。あなたの神、主はあなたを愛しておられたからである。(申命記23:5)」
私は誰もいない野で、風に吹かれながら、ただ主にしがみつき、ただ主の愛に泣く。主のあたたかな愛が流れ込み、私に主のみことばが流れ込む。ああ、この喜び。私が「喜ぶどんなものも、それと比べられない。(箴言3:15)」主よ、この喜びの油を、願うすべての人に注いでください。ハレルヤ
私は新しく造られた者
神が喜び楽しむ者
今日もみ言葉で祈ろう
主の中で自由に歩もう
私の中で自由な主の働きを!
John 17: 23 I in them and you in me—so that they may be brought to complete unity. Then the world will know that you sent me and have loved them even as you have loved me.