聖書通読43段目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
聖霊に導かれるままに
出エジプト記5-16章
主の前に、自分のすべてをさらすことが、私の大きな喜びとなった
。昔はそうではなかった。できるだけ自分を整えて、できるだけ良い形を作っておく、そんなことに励んでいた。しかし、今はそうでなく、そのままの姿で御前に進み出る
。今の弱さを、小ささを申し上げる時、私の心に、主のみことばが激しく流れ込む
。
数日前に注がれたのは、このみことば
。「あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける」と言っているのだから。 (イザヤ41:13)」
その時、私の右の手が主に堅く握られていることを思って泣いた。主が私たちを助けると言われている
。私の心に勇気が湧き上がった。翌日、そのことを友人に話したら、「こんな感じかな?」と言って、私を後ろから抱え込むように、彼女の右手で私の右の手を握ってくれた
。
私は、ハッとした
。そんな状況は想像したことがなかった。しかし、そうなのだ、私たちは、人生の全道中、確かに神に抱きかかえられ生きてきた
。「あなたがたがこの所に来るまでの、全道中、人がその子を抱くように、あなたの神、主が、あなたを抱かれたのを見ているのだ(申命記1:31)」。
見えない敵が、見える問題を振りかざして、私たちをひどく攻撃するときも、「私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。(詩篇73:23)」 そのとき、 私たちは主にすがる
。「私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。(詩篇63:8)」 主はその輝く御力をもって、私たちを助けてくださる
。「主よ。あなたの右の手は力に輝く。主よ。あなたの右の手は敵を打ち砕く。(出エジプト15:6)」 なせないことは何もない
。
私たちが、これまで越えてきた道も、自分の力によるものではなかった
。「自分の剣によって地を得たのでもなく、自分の腕が(私たち)を救ったのでもありません。ただあなたの右の手、あなたの腕、あなたの御顔の光が、そうしたのです。あなたが(私たち)を愛されたからです。 (詩篇44:3)」
その愛のゆえに、主イエスは「自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われ(ピリピ2:8)」た
。その究極の謙遜が、弱い私を支え、小さな私を大きくする
。ああ、主よ、「こうしてあなたは、御救いの盾を私に下さいました。あなたの右の手は私をささえ、あなたの謙遜は、私を大きくされます。(詩篇18:35)」
だから、今日も、私たちは主に抱えられよう。右の手を堅く握られ、「恐れるな。わたしがあなたを助ける (イザヤ41:13)」と言われよう。耳元で主がいのちのみことばをささやかれる
。その力あるみことばによって、主がすべてのことをを成し遂げてくださる
。「主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。(詩篇138:8)」ハレルヤ
!!!
私は新しく造られた者。
神が喜び楽しむ者
。
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で自由に歩もう。
私の中で自由な主の働きを
!
All authority in Heaven and earth resides in the Name of Jesus. The use of that Name and its authority have been given to me. I have a right to use the Name of Jesus!
