聖書通読342、343、344日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
金曜日は使徒書
〜。
土曜日は手紙
〜。
日曜日は律法
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使徒21-22、Ⅰヨハネ4-5、申命記26-28章
いつからか、私は神を論じることをやめた
。
主を知る前、私には、世の多くの人たちと同じく、自分なりの神様像があった。あちこちで聞きかじったことをもとに、「神は愛だ、あんなだ、こんなだ」なーんて感じに
。いろいろな分野の知識を結集して、収まりも良く、人にも受けが良かった。しかし、主と出会い、その御声を聴くようになったら、そのどれもがあまりに乏しいお粗末なものであったことが分かった〜
。
真理である神は、人間の考えが及びもつかない偉大な方だった
。その愛は途方もなく、行っても行っても、またその先に広がる深い世界を知る。そして、その時、心に満ちるものは、空をつかむ虚しさではなく、その愛に驚嘆する深い感動なのだ
。
それで、私は神を論じることをやめた
。自分の小さな世界に神を押し込めることをせず、誰かと議論することもやめた。それよりも、膨大な神の愛に心を開いて、御声を聞くことに集中しようと思うようになった
。
信じる者の目を主は開く。主は言われる。「見えるようになりなさい(使徒22:13)」。驚くことに神が私たちをお選びになったという
。それは、私たちが「みこころを知り、義なる方を見、その方の口から御声を聞くようになるため
(使徒22:14)」。
主はなんと、御声を聞かせてくださるだけではなかった
。それを理解する力さえもくださった
。「神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださった(Ⅰヨハネ5:20)」。
そして、私たちのすべてを祝福してくださる
。私たちは神の恵みの世界を体験する。「主はその恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。(申命記28:13)」
神を論じることをやめたのは、「人知をはるかに超えたキリストの愛(エペソ3:19)」を知ったから
。「そのような知識は私にとって あまりにも不思議 あまりにも高くて 及びもつきません。(詩篇139:6)」
だから、自分の考えを一切おろして、今日も主の御声を聞こうと思う
。主が第一に求めよと言われた神の国と神の義。それを私も「ただ捕らえようとして、追求している(ピリピ3:12)」 「それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださった(ピリピ3:12)」から。
ああ、私たちを捕らえ、私たちを恵みで満ちあふれるようにしてくださる主
。論じることもできないほど、大きな私たちの主をほめたたえよう
。そして、その愛の内にとどまろう。私たちは神を愛する。「神がまず私たちを愛してくださったから(Ⅰヨハネ4:19)」。
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で自由に歩もう
。
私の中で自由な主の働きを!
Thank You, Father. You have made me able to partake of my inheritance now. I am redeemed. I am delivered from the authority of Satan now. I am translated into the kingdom of Your dear Son now. I am a citizen of the kingdom of light. I live in the light. I walk in the light. I am a saint in the light!
