聖書通読323日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
日曜日は律法
〜。
申命記16-19章
目覚めた瞬間、心に問われた
。それはこうだった。
「王の心を持つ者は誰か
神様は王の心を持つ者を探している。」
どうして、その言葉が来たのだろうと思いながら、朝ご飯の支度をしていた。すると、スマホの聖書アプリから流れてくる今日の箇所に「王の心」という言葉が出てきた
。私の胸はなぜだかドキーッとして、その感覚はしばらく私から離れなかった
。私はこうべを垂れ、主が語ってくださったことを感謝した。
私たちは王として召されている
。しかし、私は果たして「王の心」を持っているだろうか

昨日、私の心に刺さったみ言葉があった
。それはこれ。「あなたがたが食べたり飲んだりするとき、食べるのも飲むのも、自分たちのためではなかったか。(ゼカリヤ7:6)」
その時、私はコーヒーをちびちび飲み、きな粉のかかったパンをかじっていた。その箇所を読んだとき、ハッと手が止まった
。おー、主よ。確かに。確かに私は、自分のために食べ、自分のために飲んでいました〜
。というか、そんなことを考えもせず、当たり前のように食べたり飲んだりして、自分を満足させていました〜
。そう思った瞬間、別のみ言葉が思い起こされた
。「あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。(Ⅰコリント10:31)」
あー、そうだった、確かにそう言われていた。心刺されながら、私はわくわくした。あー、もう少し変われそう。そうだ、私たちは何をするにも主に対して行うのだ
。「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。(コロサイ3:23)」そのことに気付いてから、食べるにも歩くにも、姿勢が変わってきた。って昨日からだけど
。。。
ああ、み言葉は素晴らしい。「教えと戒めと矯正と義の訓練(Ⅱテモテ3:16)」をもって私たちを前進させる
。だから、主は王にみ言葉を読むよう命じるのだ。しかも、祭司たちから聞くとかではなく、自分用のみ言葉ノートを作れとまで言われてる
。み言葉を自分のために書き写し、手もとに置き、一生読めと
。「その王国の王座に就いたら、レビ人の祭司たちの前にある書から自分のために、このみおしえを巻物に書き写し、自分の手もとに置き、一生の間これを読まなければならない。(申命記17:19)」
私もこのみ言葉を受け取ろう。自分のために、み言葉を書き写し、自分の手もとに置き、一生の間これを読み続けよう
。「王の心」を持つ者だから
。
王がそのようにすべき理由も主ははっきり示された
。理由は2つ。①神を愛し聞き従い、②人を愛し導くため。
①「王が自分の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばと、これらの掟を守り行うことを学ぶため(申命記17:19)」
②「王の心が自分の同胞の上に高ぶることのないようにするため、また命令から右にも左にも外れることがなく、彼とその子孫がイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるようにするため(申命記17:20)」
ああ、主よ。感謝します。地上の王たちの心もあなたの御手の中にありますが、私たち王として召された者は、あなたに心を差し出し、自ら進んであなたに向きを変えられます
。「王の心は、主の手の中にあって水の流れのよう。主はみこころのままに、その向きを変えられる。(箴言21:2)」
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で自由に歩もう
。
私の中で自由な主の働きを!
Believers have received the Holy Spirit as their Teacher, Guide, and Comforter. And the measure of their faith will be the measure of their knowledge of the Father—and their knowledge of their privileges.
