聖書通読261、262日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
火曜日は詩篇
〜。
水曜日は詩歌
〜。
Ⅱ歴代誌1-5、詩篇111-113篇
「あなたに何を与えようか。願え。(Ⅱ歴代誌1:7)」神にそう尋ねられたら、なんと答えよう

えーと、私は、、、「主の心と私の心が全く一つとなりますように」って感じかな、、、とか、ぼんやり考えた後、ソロモンの答えの始まりにハッとさせられた


。
ソロモンの答えは「私は」から始まっていなかった。「私は〜がほしいです」ではなかった。自分の願いを聞かれているのに、主語が私ではなかったのだ
。このことは私の心にとても強い印象を与えた
。彼の答えの始まりは「あなたは」だった。ソロモンがまず口にしたのは、神が自分にしてくださったこと
。あー、これこそ、主の心と一つとなるということだ。私は感動で泣きたい思いになった
。「ソロモンは神に言った。『あなたは私の父ダビデに大いなる恵みを施されましたが、今度は父に代わって私を王とされました。(Ⅱ歴代誌1:8)」
そして、もう一つ、彼の答えは誰にでも当てはまるような一般論の答えではなかった
。神が彼に固有に託した使命に基づくものだった。ソロモンは神がされたことをさらに前進させるために「今」、王として必要なものをピンポイントで願い求めたのだ
。それは神の民を治めるための知恵と知識だった。ソロモンは言った。「今、知恵と知識を私に下さい。(Ⅱ歴代誌1:10)」
神はそれを喜ばれた
。「神はソロモンに仰せられた。『そのようなことがあなたの心にあり、あなたが富をも、財宝をも、誉れをも、あなたを憎む者たちのいのちをも求めず、さらに長寿をも求めず、むしろ、私があなたを立てて私の民の王としたその民をさばくことができるようにと、自分のために知恵と知識を求めたので、その知恵と知識とはあなたのものとなった。そのうえ、私はあなたの前の、また後の王たちにもないほどの富と財宝と誉れとをあなたに与えよう。』(Ⅱ歴代誌1:11-12)」
ああ、神は私たちにもそれぞれ、大いなることをしてくださっている
。神は私たちに何をされただろう
そこには、私たちそれぞれに神が与えたデスティニーの鍵が隠されている
。
それで、ソロモンの答えに習って、こんな定型文が思い浮かんだ
。「あなたは私を◯◯とされました。今、〜をください。」
人によって、◯◯も、願うことも変わるだろう
。 私たちに託された固有のものは何だろう
それぞれに素晴らしいピンポイントの祈りができそうだ。たとえば、こんなのはどうだろう。
「あなたは私を祈る者とされました。今、〜をください。」
「あなたは私を賛美する者とされました。今、〜をください。」
「あなたは私をリーダーとされました。今、〜をください。」
「あなたは私を神の子とされました。今、〜をください。」
「あなたは私を夫(妻)とされました。今、〜をください。」
「あなたは私を親とされました。今、〜をください。」
「あなたは私を王である祭司とされました。今、〜をください。」
「あなたは私を仕える者とされました。今、〜をください。」
「あなたは私を奉仕者とされました。今、〜をください。」
「あなたは私を励ます者とされました。今、〜をください。」
「あなたは私をもてなす者とされました。今、〜をください。」
などなどなど
私も考えてみた
。主が私にしてくださったことは何だろう
それはあんまりたくさんあるけれど、一番強く私の心が叫ぶのは「真理を喜ぶ者にしてくださったこと」。完全である主の愛を受ける時、その義に触れる時、私は奥底から湧き上がる喜びで満たされる
。
だから「今」、私はそれを求めてみよう。ああ、主よ、「あなたは私を真理を喜ぶ者とされました。今、真理と非真理を見分ける目と真理に生きる喜びを分かち合う力をください
。」あなたにあって、物事の本質を見極める「良い明察を得(詩篇111:10)」、それを広く分かち合えますように。
私たちが、自分に与えられた主の仰せを喜ぶ時、その時、私たちに主の力が注がれる。神の御心をなす喜びに入ると、その人は、その分野で、他の人がとうてい真似することもできないような素晴らしい力を発揮するようになる
。そこに主の栄光が現れるからだ
。
ああ、私たちは主の仰せを喜びます
。主は私たちを祝福してくださる。「ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。その人の子孫は地上で力ある者となり、直ぐな人たちの世代は祝福されよう。繁栄と富とはその家にあり、彼の義は永遠に堅く立つ。(詩篇112:1-3)」
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で自由に歩もう
。
私の中で自由な主の働きを!
I will take the time to train, educate, and develop my spirit. My spirit is growing!
