聖書通読243、244、245日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
木曜日は預言書
〜。
金曜日は福音書
〜。
土曜日は手紙
〜。
ホセア8-14、ヨハネ10-12、Ⅱテモテ1-2章
祈りながら思った
。「内心できないと思いながら祈っている項目はないだろうか?」
そんな風に、ちょっと突っ込んで自分の心を見つめたのには、きっかけがある
。
それは、たまたま見たニュースの会見だ
。ボルダリングの世界一になった選手が言っていた。世界一になれた大きな要因はメンタル面での成長だと
。彼はそれまで、日本一ではあったが、なかなか世界のトップに立てずにいた
。そんな彼にコーチが働きかけた。彼は自分の心と向き合い、自分の弱さに気づいていく
。彼は言っていた。「以前の自分は、とりあえず日本一だから、まぁいいかという心の弱さがあった」と
。その気づきをきっかけに、彼は心の焦点を自分の目指すところにしぼる
。そして、徹底した練習を繰り返し、飛躍的に成長していったのだ
。
その話を聞かせたのは、私のコーチ、すなわち聖霊だ
。コーチが私に働きかける。私の目は私の心に向かわされた
。「私の心の弱さは何だろう?」
自分の中で、なぁなぁになっていること、
まぁこれくらいかなと思っていること、
実はあきらめてしまっていること、
まぁ仕方ないかと開き直っていること。
自分で限界を引いてしまっていること。
あー、山ほどあるような気がしてきた
。そして、思った
。「神に心を向けながら、内心できないと思うのは二心だ」
主を信じる心と、自分の感覚や考えに埋もれている心。主は二心を喜ばれない
。二心のそなえものは喜ばれないのだ
。「彼らの心は二心だ。(ホセア10:2)」「彼らがわたしにいけにえをささげ、肉を食べても、主はこれを喜ばない。今、主は彼らの不義を覚え、その罪を罰せられる。(ホセア8:13)」
信仰と現実の間をさまよう時は誰しもある。主はそのたびに私たちを慰め励まし、力をくださる
。しかし、主は私たちを本気で愛する父だ。それはいい加減な愛ではない
。その愛ゆえに、主は私たちを訓練され、さらに力強く進ませる
。「あなたはまた人がその子を訓練するように、あなたの神、主もあなたを訓練されることを心にとめなければならない。 (申命記8:5)」
主に諭され、私は気づいた。私が自分の考えや感覚、常識を主の道に持ち込むことは、主のみわざを妨げることなのだ
。私は自分の内に二心を見て、悔い改めた
。主が教えてくださった。「二心のある人は『その歩む道のすべてに安定感を欠いた人です。(ヤコブ1:8)』」「二心の人たち。心を清くしなさい。(ヤコブ4:8)」
ああ、今、心の限界を、み言葉と祈りで打ち破ろう
。先導されるのは主(ミカ2:13)。私たちはそこに従っていく
。心に決めれば、できることはもっとある、そんな風に思わされた
。
何よりも「神の国とその義とをまず第一に求め(マタイ6:33)」よう
。神の義こそが公義であり正義。自分の義は不義だ
。「私たちの義はみな不潔な着物のよう(イザヤ64:6)」。
私たちは、神の義の種を蒔くのだ
。主が叫ばれた
。「あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。(ホセア10:12)」
アスリートは、自分の弱さを知り、自分の勝利に視点を定める。そして、肉体を鍛え抜き、自分の力で勝利を得る
。私たちは、自分の弱さを知った時、キリストの勝利に視点を定める
。その時、どうすればいいか、主が語られた。「あなたがたはことばを用意して、主に立ち返り、そして言え。『すべての不義を赦して、良いものを受け入れてください。私たちはくちびるの果実をささげます。(ホセア14:2)』」私たちは完全であられる主をほめたたえ、自分の弱さを主に申し上げよう
。
私たちは自分の力で強くなるのではない
。私たちを強くするのは主の恵み
。主は言われる。「わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。(Ⅱテモテ2:1)」
そして、私たちはキリストにあって勝利を得る
。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る。(ヨハネ11:40)」
ハレルヤ
主に栄光
!
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で自由に歩もう
。
私の中で自由な主の働きを!
God has given His angels charge over me to protect me in all my ways.
