聖書通読19日目。
今日もみ言葉で祈ろう
。
木曜日は預言書
〜。
イザヤ12-17章
人は神と共に生きるように造られた
。私たちの受け取る全ての良きものは「上から来るのであって、光を造られた父から下る(ヤコブ1:17)」
。だから、神との関係が断絶されていれば、心に大きな空洞を抱えたまま生きることになる
。
どんなに有能な人でも、どんなに美しい人でも、どんなに家族や人に恵まれた人でも同じだ。「あの人がなぜ?」というような、欠乏感や深い悩みを持っていたりする
。
しかし、時が来ると「人は自分を造られた方に目を向け、その目はイスラエルの聖なる方を見(イザヤ17:7)」る
。
欧州に住む家族Kさんにも、そんな時が訪れ、私と一緒に聖書を買いに行き、現地の教会に通い始めた⛪️。知り合いもいない中に入っていくのは、Kさんにとっては大変だ。皆がきよく見えて、自分が惨めに感じてしまったりもする
。それでも主はKさんを愛し導かれている
。
そんなKさんから連絡が
。昨夜、近所の友人が突然訪ねてきたという。その人はNYでバリバリ働いてきた、見た目もスーパーモデルのような人
。優しいご主人とかわいい子供もいる。しかし、産後ブルーもあったり、時に落ち込んでしまうらしい。Kさんは親身になって、あたたかく迎え入れた。その人は安心して、帰っていったという
。
ずっと悩みの中でもがいてきたKさん。夕べはこんなことを言っていた
。「色々な体験は辛いことも多いけど、それが誰かの役に立つ事もあるんだね。」こう言うKさんに、私は主の満たしを感じた
。
ああ、主はこんな風にも働かれる
。そこには確かに主の光があった
。主がKさんの中におられる。この光が私たちに与えられている。
私たちが誰かを助ける時、私たちは主から恵みを受け取っている
。私たちが何か奉仕をする時、私たちは主から油注ぎを受けている
。無駄なことは何一つない
。「大声をあげて、喜び歌え。イスラエルの聖なる方は、あなたの中におられる、大いなる方。(イザヤ12:6)」
かといって、何でもかんでも引き受けなくていい。何もしてあげられない時でも、そっと祈ってあげることはできる
。主がその心を取られる。「見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。(イザヤ12:2)」
ああ、主は素晴らしい。安心して進んでいこう
。
「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、国々の民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。(イザヤ12:4)」
小さな一歩は世界に広がる
。自分の考えとは関係なしに、主がどんどん運ばれる。どんなに小さな祈りも、どんなにささやかな親切も、主の恵みの中でなされていることを知ろう
。
「主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを、全世界に知らせよ。(イザヤ12:5)」
主の計画は進んでいく。「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計ったとおりに成就する。(イザヤ14:24)」そこには確かに主の光
。主の光に照らされてしか見えないものがある。ああ、主よ、私たちが「あなたの光のうちに光を見る(詩篇36:9)」ことができますように
。
今日もみ言葉で祈ろう
。
主の中で自由に歩もう
。
私の中で自由な主の働きを!
When we believers allow our spirits to dominate us, we permit the life of God in us to dominate us.
